「世界最大の超音速戦闘機」できた!→なぜ幻に? サイズも中身も超スゴかったのに

「アロー」なぜ実用化に至らなかった?

 初飛行が成功したCF-105「アロー」は、その後の開発スケジュールでは、初飛行に使用されたJ75エンジンよりも強力かつ軽量な、カナダ製オレンダ・イロコイ・エンジンが完成したことで、それを積むために必要なテストが進められている状況でした。

 しかしその最中の1959年2月、当時のカナダ首相ジョン・ディーフェンベーカーは「アロー」開発計画の中止を発表します。その理由については、地対空ミサイル、アメリカ・ボーイング製のCIM-10B「ボマーク」が登場したからとされたのです。ソ連より飛来する長距離爆撃機からカナダを守るには、1958年から配備が始まっていたこの最新の地対空ミサイルで十分だと説明されました。

 しかし、その発表の背後でカナダ政府とアメリカ政府は、非公式に66機の長距離全天候戦闘機マクドネルF-101をカナダ空軍に導入する交渉を進めていたのです。この強引ともいえる「アロー」計画の中止とアメリカ製F-101の採用は、最終的に政治問題にまで発展し、保守党が政権を失う原因にもなりました。

 こうして突然の発表により。飛行試験が始まっていた 「アロー」は製作途中の機体を含めて、全て解体されてしまったのです。

 ただ、その一方で当時のカナダ国民が「アロー」に託した期待は並々ならぬものであったとわかる事例が多々あります。その一例といえるのが、「アロー」愛好家が集まり10年がかりで製作された原寸大のレプリカ「アロー」203号機でしょう。外板の材料や脚部分などは実機に部品を供給した企業から提供されたとのことです。

 完成したレプリカは当初、トロント国際空港の一角にあったカナダ航空宇宙博物館で展示されていました。しかし、同館の閉館に伴い一時は格納庫に放置されてしまいます。

 その後、トロント郊外のイーデンベール飛行場の格納庫で保存展示されることが決まりました。その格納庫は飛行場の敷地内にあるためレプリカの見学には見学ツアーに参加する必要がありますが、筆者が訪れた日は平日にもかかわらず多数が参加していました。その光景を見て、筆者(細谷泰正:航空評論家/元AOPA JAPAN理事)は改めて、カナダにおける「アロー」の人気ぶりを実感しました。

【了】

【写真】デカすぎw これが元「世界最大の超音速戦闘機」全貌です

Writer: 細谷泰正(航空評論家/元AOPA JAPAN理事)

航空評論家、各国の航空行政、航空機研究が専門。日本オーナーパイロット協会(AOPA-JAPAN)元理事

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