初飛行50周年 ヨーロッパ共同戦闘機「トーネード」万能性を追求したら“見込み客”半減なぜ?

思惑が違うのにまとまるはずはなかった…

 しかし、同じNATO加盟国といえども、地理的事情により各国で要求性能は異なり、それをまとめるのは至難の業でした。たとえば、イギリスは空戦能力を欲しつつも、地上攻撃や偵察を重視していたのに対し、ほかの国は制空戦闘に優れた戦闘機が欲しいといった状況で、運用思想すら違っている状態だったのです。そのため、最初から計画通りスムーズにいくはずもありませんでした。

 計画の詳細が決まる前に、まずカナダとベルギーが離脱を表明。1969年3月にイギリス、西ドイツ、イタリア、オランダの4か国でひとまず制空戦闘、地上攻撃、偵察などの幅広い任務をこなす戦闘機を作るにはどうすればいいかの意見交換などが行われましたが、1970年に今度はオランダが、ここまで複雑で開発が困難な機体は不要と判断し、離脱してしまいます。

 結局、残ったイギリス、西ドイツ、イタリアの3か国で、エンジンや機体を開発する合弁会社である「パナビア エアクラフト」を設立。イギリスと西ドイツがそれぞれ業務量の42.5%の株式を取得し、イタリアが残りの15%を保有する形で本格的な戦闘機の開発がスタートします。

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離陸する直前の実験機1号機(画像:BAEシステムズ)。

 しかし、この後も同機をふたり乗りの複座機にするかひとり用の単座機にするかで、イギリスと西ドイツが揉めることになります。このときは結局、複座型を推すイギリスの案が通ります。

【おう、ド派手…】これが、50周年記念カラーの「トーネード IDS」です(写真)

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