「爆撃機が来るぞ!」察知しイギリス救った“見えない兵器” スタートは殺人光線ってホント?
イギリス本土防空戦で大活躍!
レーダーが登場するまで、航空機を探知する方法としては人間の目と耳だけが頼みの綱でした。視力の良いものを選別し監視させたり、聴覚に敏感な視覚障がい者に空中聴音機を付与したりするといったことが試されましたが、いずれにしてもその探知距離はせいぜい10~20kmが限度でした。それらに対し、レーダーなら当時ですら160km先の航空機を探知できたのですから、まさに「ゲームチェンジャー」と言っても良いものでしょう。
第一次世界大戦中、イギリスはドイツの爆撃機や飛行船による無差別爆撃に悩まされており、本土が爆撃されることの恐ろしさを学んでいました。そのためレーダーの有用性は政府首脳にも即座に理解され、イギリス本土をほぼ完全にカバーするレーダー網の構築が開始されます。
このレーダー網は「チェイン・ホーム」と呼ばれ、ドイツ空軍の攻撃を事前に察知し、迎撃するために大いに役立ちました。特に、英独航空決戦となった1940年夏の「バトル・オブ・ブリテン」において、チェイン・ホームはイギリスの防空戦略の中核を成し、ドイツ空軍撃退の立役者の1つにもなりました。言うなれば、レーダーの存在が、第二次世界大戦におけるイギリスの勝利に、大きく貢献したのです。
ところで、当初の目的であった「殺人光線」はどうなったのでしょうか。実は、この技術も全く無駄になったわけではありませんでした。
強力なマイクロ波を利用して物体を加熱する技術は、遠方の人間や航空機を破壊するには力不足でしたが、食べ物を温めるにはとても便利なことが判明し、家庭用電化製品に転用されました。今では、それは「電子レンジ」と呼ばれ、世界中の家庭で使われています。
【了】
Writer: 関 賢太郎(航空軍事評論家)
1981年生まれ。航空軍事記者、写真家。航空専門誌などにて活躍中であると同時に世界の航空事情を取材し、自身のウェブサイト「MASDF」(http://www.masdf.com/)でその成果を発表している。著書に『JASDF F-2』など10冊以上。
コメント