汗臭い、泥臭い、鉄臭いの3拍子揃った『ボトムズ』は監督の前職が影響か!? 終戦直後に生まれた知られざるスクーターも

自動車販売会社からアニメ制作会社へ

 1961年に高校を卒業した高橋さんは、明治大学第二学部(夜間学部)に進学するとともに、赤坂見附に当時あった「伊藤忠自動車」に事務員として就職します。彼が入社した当時、同社は、ヒルマンやサンビーム、タルボといったルーツ・グループの英国車のほか、いすゞや富士重工(現・スバル)などの国産乗用車を販売していました。

 このときに高橋さんが社用車として宛てがわれたのが富士重工「ラビット」で、この鉄製スクーターに乗って書類手続きのため会社から九段の税事務所へと頻繁に通ったそうです。

 しかし、そんな高橋さんの会社員生活は突然終止符を打ちます。映画好きで「いつか映像関係の仕事をしたい」と考えていた当時の彼は、1964年のある日、たまたま新聞の求人広告で「虫プロ」が社員募集をしているのを見て転職を決意します。

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富士重工(現SUBARU)「スバルR-2」。アニメの仕事をするようになった高橋さんが最初に手に入れた四輪車。「スバル360」譲りのシンプルな構造の軽自動車で、2ストロークエンジンをリアに搭載していた。高橋さんはスクーターに乗っていたときに会得した整備技術で簡単な修理やメンテナンスはDIYでこなしていたという(画像:パブリックドメイン)。

 念願叶って虫プロ社員となった高橋さんは、制作進行や演出を経験したのち、1969年に虫プロ出身者が立ち上げたアニメスタジオ「日本サンライズ」へと移籍します。アニメ制作に携わるようになってからは仕事が忙しく、オートバイとは縁遠い生活を送ることになりましたが、1972年にイタリア製スクーター「ベスパ」を手に入れたことで再びバイク熱が蘇り、休日になるとツーリングを楽しむようになったそうです。

 こうした経験があったからこそ、『太陽の牙ダグラム』や『装甲騎兵ボトムズ』などは、見上げるような巨大ロボットというよりも、自動車やせいぜいトラックサイズの機械として描かれているのでしょう。

 しかも彼の作品に登場するメカは、主人公機を含めてそのほとんどが量産兵器であり、ほかのロボットアニメに見られるようなヒロイックな要素が排除されているのも特徴のひとつとなっていますが、それもまた、スクーターや自動車といった工業製品を常に扱っていたからなのかもしれません。

 高橋さんの作品に共通するメカニズムの持つ独特の質感やリアリティは、彼が愛用した鉄製スクーターでの実体験、そして自動車ディーラーでの職務経験が強く影響していることは間違いないようです。

【了】

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Writer: 山崎 龍(乗り物系ライター)

自動車やクルマを中心にした乗り物系ライター。愛車は1967年型アルファロメオ1300GTジュニア、2010年型フィアット500PINK!、カワサキZX-9R、ヤマハ・グランドマジェスティ250、スズキGN125H、ホンダ・スーパーカブ110「天気の子」。著書は「萌えだらけの車選び」「最強! 連合艦隊オールスターズ」「『世界の銃』完全読本」ほか

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