ヤマハ日高社長「辞任」へ 自工会ポストも交代 「ご迷惑をおかけすることにならないか」にじみ出る“公私の迷い”
ヤマハ発動機の日高社長は2024年9月30日、同社代表取締役社長を辞任しました。日高氏自身が要望しており、同日開催された通常取締役会で決定されました。
自工会ポストも交代 ヤマハ日高社長退任
ヤマハ発動機は2024年9月30日、同社代表取締役社長・社長執行役員の日高祥博氏(高ははしご高)が辞任したことを公表しました。同日午後に開催された取締役会で、日高氏自身の申し入れを受けたものです。
日高氏は報道向けのコメントの中で次のように話しています。
「このたび、父親として家族のケアに専念したいとの考えに至り(略)、本日付で辞任することとなりました」
きっかけとなったのは、2024年9月16日午前3時頃に発生した同居する家族とのトラブルでした。事件発生から半月余りの間に、公私のあり方に迷っていたことが、コメントににじみ出ています。
「次期中期経営計画策定に向けた大切な時期であり、社長である私がその職を辞することはステークスホルダーの皆さまにご迷惑をお掛けすることにならないかと大変悩みましたが、渡部会長をはじめとする経営陣に私の意志をご理解いただき、お任せすることとなりました」
ヤマハ発動機は2024年9月に発表した第90期中間連結会計期間の事業で、売上収益・各利益が過去最高を達成。二輪車事業の増収などにより2024年12月期連結業績予想を含め4期連続で過去最高を更新する見通しです。日高氏の経営手腕がますます期待される中での辞任の決断でした。
同社社長を10月1日付で兼務する渡部克明会長も、次のようにコメントしています。
「(日高氏からの)強い要望を受け、これを尊重する形で辞任を受け入れました。関係の皆さまにおかれましては(日高氏を)暖かく見守っていただければ幸いです」
さらに、日高氏は日本自動車工業の副会長兼二輪車委員会の委員長として、低迷する国内市場の回復のための活動を推進してきました。9月27日に宮崎市で開催されたバイク関連会議「バイクラブフォーラム」には姿を見せませんでしたが、2018年の岩手県一関市開催から毎年出席。経済産業省、地方自治体とバイク業界9団体が集う官民会議で、その振興策を模索してきました。
日高氏が副会長を務める日本自動車工業会は9月30日の段階では「現時点の後任人事は決まっていません」と話していますが、日高委員長の後任にも各種の施策が引き継がれる予定です。
日高氏の選択に、バイク関係者の間ではこんな声が聞かれました。
「家族との将来を考えると、これが最善の選択だった……これがいいと思う」
【了】
Writer: 中島みなみ(記者)
1963年生まれ。愛知県出身。新聞、週刊誌、総合月刊誌記者を経て独立。行政からみた規制や交通問題を中心に執筆。著書に『実録 衝撃DVD!交通事故の瞬間―生死をわける“一瞬”』など。
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