オトコの作業服着が発祥!「セーラー服」はなぜ女性のファッションとして浸透していったのか?
和装よりも動くのに向いていた!
そういった世界的な流れのなか、日本でも女性の体格向上と健康増進のために体操教育を取り入れるという考えが広まり、女性のための学校が数多く造られることになりました。
しかし、当時の女性たちは基本的に和装でしたから、運動をするのには向いていません。そこで、女学校を作る際に、動きやすい洋装を制服に取り入れようとなった訳です。その際に活動的な女性のイメージとして、当時欧米で流行していたセーラー服が選ばれたと言われています。
そのころ、まだまだ教育を受ける女性はごく少数であり、学校に通う女子生徒たちは、いわばエリートといえる存在でした。そのようななか、彼女たちは元々男性の服であったセーラー服を着こなし、颯爽と街を歩いていたため、その姿にあこがれを持つ女性が多く生まれるようになります。
こうして、女性向けの高等教育が広がっていくとともに、セーラー服を制服に採用する学校は増えていき、日本の女学生=セーラー服というイメージができ上がったと言えるでしょう。
なお、太平洋戦争の敗戦によって旧日本海軍は消滅したものの、その伝統を受け継ぐ組織として戦後、海上自衛隊が発足したことで、セーラー服はいまでも現役で使われ続けています。
ただし、着用するのは男性海士のみ、女性の海上自衛官は、海士であっても幹部や海曹と同じく冬服はキリリとネクタイを締めたスタイル、夏服は開襟のシャツスタイルになっています。
【了】
Writer: 凪破真名(歴史ライター・編集)
なぎはまな。歴史は古代から近現代まで広く深く。2019年現在はフリー編集者として、某雑誌の軍事部門で編集・ライティングの日々。趣味は自衛隊の基地・駐屯地めぐりとアナログゲーム。
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