池袋駅「ポツンと出入口」なぜ生まれた? 駅から遠くにわざわざ建設 “離れ小島”39番出口の謎
池袋駅は地下通路が東西に伸びていますが、駅から遠い場所にポツンと造られた出入口が一つあります。東側の39番出入口です。この離れ小島のような出入口は、なんのために造られたのでしょうか。
苦心した有楽町線のルート選定
ではなぜ有楽町線は、39番出入口のある裏路地を通過しているのでしょうか。地下鉄建設において最も重要な要素は、ルートの選定です。建設費を抑えるためには道路や公共用地を活用し、民地の買収は最小限に抑えます。また、それらの用地は連続的でなければなりません。
もうひとつは駅の位置です。西武線、東武線、丸ノ内線のバイパス路線として建設された有楽町線では、池袋駅構内の通過位置を決めることが最重要課題でした。そこで国鉄、営団、西武、東武で4者間協議を重ね、相互の乗り換えによる混雑緩和、池袋駅の将来構想を考慮して、南側の跨線橋付近に決定しました。
そうなると池袋駅・西武百貨店から東池袋方面は、39番出入口のある裏通りを進まざるを得ませんが、大きな問題が立ちはだかります。当時の地下鉄は全て、路面から掘り下げる「開削工法」で建設されたため、歩道を含めても幅員10m程度の狭い道路を約350mにわたって掘り返さねばなりません。しかも周辺は商店、銀行、ホテルが混在する繁華街です。
また、付近には産婦人科病院があり、その下を有楽町線が通過することになったため、工事期間中の営業休止問題に加え、開通後の地下鉄運行に伴う振動・騒音の影響が大きいとしてルートの変更を強く求められる事態となりました。最終的には病院の移転で決着しましたが、他の沿道のビルなどでも補償や建物移転を行うなど、着工には多くの苦労があったようです。
存在感が薄く、利用が多いとは言えない39番出入口の通路ですが、こうした経緯を踏まえれば、沿道の人々に地下鉄建設のメリットを示すために造られたものなのかもしれません。
Writer: 枝久保達也(鉄道ライター・都市交通史研究家)
1982年、埼玉県生まれ。東京地下鉄(東京メトロ)で広報、マーケティング・リサーチ業務などを担当し、2017年に退職。鉄道ジャーナリストとして執筆活動とメディア対応を行う傍ら、都市交通史研究家として首都圏を中心とした鉄道史を研究する。著書『戦時下の地下鉄 新橋駅幻のホームと帝都高速度交通営団』(2021年 青弓社)で第47回交通図書賞歴史部門受賞。Twitter:@semakixxx
やっと変な煽り文句でない画像リンクになった。こういうのでいいんだよ・・・
二郎のすぐ近くに出れるからよく使います。