累計1500万台達成のスバル水平対向エンジン その原点は航空機に
取り残される「栄」
しかし1940年代に入ると欧米諸国は相次いで2000馬力級エンジンを完成させ、約1000馬力だった栄は、はやくも見劣りするようになります。
中島はそれに対抗すべく、14気筒の栄を18気筒へ拡大した「誉」を1942年に開発。2000馬力という抜群の性能値を誇る誉は「疾風」や「紫電」など、太平洋戦争末期の航空機に多く搭載されました。
しかし誉には弱点がありました。あまりに欲張った性能を求めた結果、故障が頻発する気むずかしいエンジンになってしまったのです。航空機用エンジンはまず「動くこと」が重要ですから、誉は実用エンジンとしては失格でした。
結局のところ、誉を搭載した航空機は性能を発揮することさえ叶わず、軍は性能に劣る栄を搭載した零戦などを、しぶしぶ使わざるを得ませんでした。とはいえ中島飛行機の栄と誉は、戦前日本の工業水準におけるひとつの到達点でした。
これらのエンジンを開発した技師たちは戦後、自動車エンジン技術の発展に大きな足跡を残し、「スバル」の歴史を切り開くことになります。
【了】
Writer: 関 賢太郎(航空軍事評論家)
1981年生まれ。航空軍事記者、写真家。航空専門誌などにて活躍中であると同時に世界の航空事情を取材し、自身のウェブサイト「MASDF」(http://www.masdf.com/)でその成果を発表している。著書に『JASDF F-2』など10冊以上。
武蔵の専英志世師、身体をイタワリくれぐれもご自愛ください
誉エンジンは、冷却フィンをシリンダーとは違う金属で植え込むというような極めて細かい細工もされていたようですよ。でもある陸軍航空部隊では、ある整備将校が実施した計画的なメンテナンスにより稼働率が70〜80%達成されていたそうですよ。どんな性能のよいものでも、的確なメンテナンスが必要な事がわかります。なかなか気が付かない事ですよね。
WRC
WRCは「ワールドラリーカー」ではなく「WORLD RALLY CHAMPIONSHIP」です。
なにも取材せずいろんな記事を斜め読みして上っ面をなでただけなんでしょうね
WRCを戦っておられる方々や、スバルの方々に失礼だよ。
あのね?WRCのカテゴライズの一部に市販車からの改造範囲を大幅に拡大したWRCarって言われるのがあったんですよ?
その程度の知識しか持ち合わせていないのに失礼とか言う方が失礼ってもんです。
思っても書き込んだりしなければ恥をかかずに済んだのにね。
モータースポーツジャーナリストの皆さんの認識は、かびらまるさんと一緒だと思いますよ。WorldRallyCarはたいてい「WRカー」と略されてるかと。
ま、両名さまとも「航空軍事評論家」にクルマネタでツッコミ入れてもかわいそう。航空や軍事でつっこんであげてください。
航空機のエンジン技術を生かした水平対向エンジンの凄さを初代スバル1000で実感しました、それは高所での実力です 当時の国産車は1000メートル以上の高所では出力が極端に落ちてしまいました、
初代スバル1000で志賀高原ルート(当時は未舗装)にドライブに行った時での出来事でした前方を三菱ウイルスジープが喘ぎながら登って居ましたがそのジープを軽々追い越し丸池で休憩し20分後にジープが到着しそのドライバーが感心し外車かと聞かれスバルですと自慢して水平対向エンジンを見せ溜飲を下げたものです、その一年後に会社の初代マークⅡで同じコースをドライブしましたがギヤーは2又はローでしか登れませんでした(スバル1000は3ギヤでした)只欠点はボデイがもろかったです、
本当の理由は、試作車から量産車に移行する計画であったP1開発において富士重工と姉妹社である富士精密からエンジン供給を受ける予定だったが、富士精密と合併したプリンス自動車の株主会社であるブリヂストン会長の石橋正二郎氏の意向で富士重工側がオカモト護謨製のオカモトタイヤをメインで使用するのを懸念した結果、富士重工にエンジン供給を妨げたのではないかとの説があります。
また、水平対向エンジンを使いはじめた理由は、P1計画でエンジンの供給が絶たれ暗礁に乗り上げた時期に、エンジンを自社開発を迫られた結果、ちょうどいいタイミングで愛知機械工業のジャイアントが搭載していた水平対向エンジンの技術者大勢が、ジャイアント販売不振により、ごっそり愛知機械工業から退社した後に、富士重工が引き入れて、ジャイアントと同様の設計で水平対向エンジンを作らせたのが始まりです。ですので水平対向エンジンはスバルオリジナルではなく他社の技術の無断流用かと考えます。
のちに改良されスバル1000に搭載され、同社の資金力不足と開発力にイノベーションが起こせなかった重工系の体質により、普通車では水平対向エンジンしか生産できなったことが、現在ではオリジナルに展開していることが幸いとなった結果です。
愛知機械も元は航空機メーカー(流星艦爆とか作ってた)なんで、とりあえずタイトルの「その原点は航空機に」は奇跡的にセーフかと。
栄エンジンは米P&W社の「ツインワスプ・ジュニア」のほとんど丸パクリコピーエンジンですよ。シリンダーのボアとストロークはわずかに変更してますが。実際の設計変更もP&W社の派遣技師がやったと聞いていますが。
初代スバル1000は航空機エンジンの特徴を生かし2000m級の高所でその威力を発揮しそれの加え乗用車では初めての前輪駆動は当時の未舗装が多い道路や雪道で他車を圧倒しました、
この体感は志賀高原ルートで実感しました。
参考-その時三菱ウイリスジープやトヨタの初代マークⅡではまだ高所ではエンジンの出力不足で問題になりませんでした。
誉発動機を「欲張った性能を求めた結果、故障が頻発する気むずかしいエンジン」と説明するのならば、100オクタンガソリン使用が前提で完成させたのに、92オクタンに変更されたこと、戦争により特殊金属が使えなくなり、代用品を使ったため信頼性が低下したことについて言及すべきでは。
少なくとも、完成させるまで大きなトラブルもなく要求性能を満たしており、トラブルが頻発すようになったのは、上記の理由によるものと思ったのですが?
確かにこの記事、誉に冷たいかな。
栄は日本が世界に追い付いたエンジンで、誉は世界を追い越したエンジンだと思う。実際、終戦後に米軍が四式戦(疾風、誉エンジン搭載)を整備してテストしたら、素晴らしい飛行性能を示して米軍を驚かせたらしい。
誉が量産実戦配備された頃の日本は敗色濃厚で、燃料材料加工整備さらには搭乗員の全てが質も量も不足してた上に、高性能機は完成しても本土決戦用に温存されたりしたから、栄ほど製造数も多くないし活躍できなかったのは仕方がない。