MRJ、YS-11以上 消えゆく隠れた国産傑作機

国産飛行機といえば2015年秋の初飛行を計画している「MRJ」や、戦後初の国産旅客機「YS-11」が有名ですが、それ以外に、それ以上の受注を獲得した国産の飛行機があります。米空軍にも採用されたその飛行機の名は「MU-2」。その知られざる傑作機の姿がまもなく、日本ではほぼ見られなくなります。

YS-11、MRJより多く受注された国産飛行機

 2015年秋の初飛行を目指し、地上走行試験中の国産旅客機、三菱リージョナルジェット「MRJ」。このMRJは2015年7月現在、407機の受注を得ており、1962(昭和37)年に初飛行した戦後初の国産旅客機、日本航空機製造YS-11の総生産数182機をすでに上回っています。

 しかしMRJの受注数407機という数字、生産数(受注数)としては戦後最多ではありません。YS-11とほぼ同時期に開発(1963年初飛行)され、総生産数約800機を記録。史上空前の大ヒットとして成功を収めた国産飛行機が、実は存在しています。

 その国産飛行機の名前は三菱MU-2。小型のビジネス機であり、ターボプロップエンジン(一般的なプロペラ機用エンジン)を双発で搭載した、いまでいうビジネスジェットのような飛行機です。どちらかといえば、MRJよりも「ホンダジェット」に近いかもしれません。

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陸上自衛隊も「LR-1」として導入している三菱MU-2(撮影:関 賢太郎)

 MU-2は主にアメリカで販売されました。なぜMU-2が大ヒットしたのか、その理由について、三菱重工業広報部の諏訪下さんは以下のように語ります。

「MU-2はプロペラ機とはいえ最大巡航速度は約550km/h以上。これはYS-11や三菱「零戦」の最高速度を超えており、当時としては非常に高速でした。また短い滑走路で離着陸できたこと、例えば舗装してない空港でも環境を選ばず簡単に離着陸でき、そのうえ様々な用途で使えたことが、大ヒットの要因とであったとみられます」

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コメント

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1件のコメント

  1. 確か、三菱はMU-2の製造権利を米ムーニー社に売却したと聞きましたが。