英国の空を飛んだ海自P-1 そこにある歴史的意味

鉄道と同じ 歴史的な意味があるP-1とイギリス

 日本の海軍航空の始まりは、1921(大正10)年にイギリスから「センピル教育団」を招聘し、技術指導を受けたことに始まります。翌1922(大正11)年にはイギリス海軍の空母を参考にした日本初の空母「鳳翔」が完成し、さらに1923(大正12)年には「鳳翔」へ初めての着艦が行われましたが、このとき着艦に成功した三菱「一〇式艦上戦闘機」はイギリス人技師の手によって設計され、パイロットもまたイギリス人でした。

 現在工事が進むイギリスの都市間高速鉄道計画においては、日立製の車両の導入が決まっています。日本の鉄道史も航空と同様にイギリスの技術供与から始まりました。もし日本海軍(海自)航空の結晶であるP-1哨戒機を逆に輸出することができたならば、鉄道に続き航空分野においても100年を経た良師への恩返しとなるでしょう。

 なお余談ではありますが1941(昭和16)年、日本海軍は大恩あるイギリス海軍の戦艦を、よりによって航空機で2隻も沈めてしまいました。そして時のイギリス首相チャーチルは、「センピル教育団」を日本に派遣したまさにその時、航空相を務めていました。チャーチルは日本海軍の「お礼参り」こそが第二次世界大戦で最も憤慨した出来事だったと回想録に記しています。

【了】

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Writer: 関 賢太郎(航空軍事評論家)

1981年生まれ。航空軍事記者、写真家。航空専門誌などにて活躍中であると同時に世界の航空事情を取材し、自身のウェブサイト「MASDF」(http://www.masdf.com/)でその成果を発表している。著書に『JASDF F-2』など10冊以上。

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