「歩道上の駅入口」は貴重だった!? 3形態ある出入口「どこに置くか問題」は地下鉄の“悩みあるある”だった

地下鉄駅の出入口は、古い路線だと道路の歩道上にあることが多く、新しい路線だとビルと一体化したものが多い傾向にあります。この背景には、東京メトロ(帝都高速度交通営団)の場合、戦前から連綿と続く地下鉄建設と整備ルールの深い関係がありました。

1960年代後半から地下鉄駅出入口の事情が変わった

 ビルと一体化した出口としては、浅草、上野、神田、渋谷など自社ビルと一体化したもの、三越前や上野広小路など、デパートの費用負担で地下鉄連絡口を設置したものがあります。

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東京・日本橋の三越本店の片隅に三越前駅の「地下鐵入口」がある(乗りものニュース編集部撮影)。

 また、赤坂見附駅はトンネルが道路を外れて通過するため、民地を取得し、道路外に出入口を設置しました(駅ビル化は1970年代のこと)。このように、出入口の3形態は地下鉄誕生当初からあったことが分かります。

 戦後に建設された地下鉄新線も概ね銀座線の基準が踏襲されました。道路は国道、都道、区道などに分類され、それぞれの管理者に対し占用許可を求める形になりました。例えば丸ノ内線新宿三丁目駅は、新宿三丁目交差点の歩道幅員が狭いため、歩道上の出入口は1か所しか(現存せず)設置が許可されず、交差点の見通しの関係上、上家の設置も認められませんでした。

 また、珍しい事例としては、御茶ノ水駅は一帯が風致地区に指定されていたため、こだわった意匠設計を取り入れました。この「丸ノ内線御茶ノ水駅出入口上家」は2023年に国の登録有形文化財に登録されています。

 続く日比谷線、東西線の頃になると、出入口の用地買収にあたり地権者から1階を出入口、2階以上を地権者のビルとする案が提示されるなど、大手企業のビルやデパート以外と一体化した出入口も増えてきます。

 事情が変わったのは1960年代後半以降です。これまでの地下鉄は、いわゆる大通りに建設されたため、歩道に出入口を設置する余裕がありました。しかし既存路線のバイパス路線である千代田線や有楽町線は、幅員の狭い裏路地を走る区間が多々あります。

 当然、歩道は狭いか無いに等しく、出入口を設置することができないので、出入口用の民地を取得しなければなりません。また、この頃から歩道上への出入口設置のハードルが上がりました。有楽町線の認可事項には「出入口は、原則として道路区域外にすること」や、「通風口及び出入口にあっては、道路の敷地以外に適当な場所がない場合に限る」との文言が登場します。

 もっとも千代田線、有楽町線、半蔵門線には、やむを得ず歩道上に設置した出入口は多数ありました。しかし1990年代以降の南北線、副都心線では、ほとんどの出入口がビルと一体化しました。近年はバリアフリー対策が必要になり、事業者から隣接する地権者に呼び掛けて、エレベーター口を併設したビルを建設したり、用地を新たに取得して出入口を新設したりする事例も増えています。

 なお、一見すると歩道上にある出入口も、よく見ると歩道に接する民地内に設置されていることがあります。また、千代田線・副都心線明治神宮前駅の神宮前交差点付近の出入口のように、既存路線と新路線が出入口を共有しており、見かけ上、新路線の出入口が歩道上にあるように映ることもあります。出入口は文字通り、奥深いのです。

【戦前から粋!】特徴的な地下鉄駅出入口を見る(写真)

Writer:

1982年、埼玉県生まれ。東京地下鉄(東京メトロ)で広報、マーケティング・リサーチ業務などを担当し、2017年に退職。鉄道ジャーナリストとして執筆活動とメディア対応を行う傍ら、都市交通史研究家として首都圏を中心とした鉄道史を研究する。著書『戦時下の地下鉄 新橋駅幻のホームと帝都高速度交通営団』(2021年 青弓社)で第47回交通図書賞歴史部門受賞。Twitter:@semakixxx

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