西武鉄道にトドメを刺された!? 東京近郊にあったナゾの鉄道 100年前のレールがまさかの現存!

かつて日本中で走っていた馬車鉄道。100年以上前に走っていた、首都近郊の2つの馬車鉄道の軌跡をたどってみたら、残されたレールまで見ることができました。

馬車鉄道のターミナルだった入間川駅

 東京に地下鉄網ができる以前、都内移動の主役は都電をはじめとした路面電車でしたが、さらにさかのぼれば「馬車鉄道」に行きつきます。日本初の馬車鉄道は1882(明治15)年に新橋―日本橋間で開業した東京馬車鉄道でした。

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西武新宿線(画像:写真AC)。

 馬車鉄道は馬がひく客車をレールの上で走らせることで、人力車や馬車よりも乗り心地がよく、多くの人を運べることから全国に普及していきました。電車が普及すると、それにとって代わられることとなりますが、都心部だけでなく地方にも敷設され、やがて路線バスに発展していったものもあります。

 そのような馬車鉄道のなかに、埼玉県の内陸部を走っていたものがありました。現在の狭山市を起点にしていた「入間馬車鉄道」と「中武(ちゅうぶ)馬車鉄道」です。

 入間馬車鉄道は、国分寺と川越を結んでいた川越鉄道(現・西武新宿線と国分寺線)の入間川駅(現・狭山市駅)と、飯能を結ぶ馬車鉄道として1901(明治34)年に開業しました。

 飯能といえば西武池袋線の郊外側の拠点駅として有名ですが、当時はまだ武蔵野鉄道(現・西武池袋線)が開通していません。それに先立ち、川越鉄道と飯能を連絡する交通手段として開業したのです。

 客車は定員15名ほどで、入間川―飯能の運賃は15銭(後に値上げされ20銭)、初乗りは3~4銭、8歳までの子供は半額、4歳以下の幼児は無料でした。約10kmの距離を1時間15分ほどで結び、運転間隔は1時間に1本で、1日に15~17往復していました。

【100年前の写真】これが“西武にトドメを刺された”鉄道です

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