西武鉄道にトドメを刺された!? 東京近郊にあったナゾの鉄道 100年前のレールがまさかの現存!
かつて日本中で走っていた馬車鉄道。100年以上前に走っていた、首都近郊の2つの馬車鉄道の軌跡をたどってみたら、残されたレールまで見ることができました。
東京まで行く路線もあった!
一方の中武馬車鉄道は、立川と青梅を結んでいた青梅鉄道(現:JR青梅線)と、前出の入間川駅を連絡するため1901(明治34)年に開通しています。こちらは約18kmの距離を2時間20分ほどで結び、運転本数は午前5便、午後5便の計10便でした。
双方の馬車鉄道は、起点の入間川駅前から入間川町(現・狭山市)の市街地において、軌道を共有していました。ただ、ダイヤを示し合わせてなかったので、共用区間で車両が鉢合わせになることも。その際は、先に開通した入間馬車鉄道に軌道の所有権があったので、中武馬車鉄道は車両ごと軌道外に待避し、入間馬車鉄道の方が先に進んだそうです。
後述する当時のエピソードを記した「万造じいさんの馬車鉄夜ばなし」によると、「借りている道だから(レールを)外しちまう。そしてこっちが通る。そういう権利があったん。(中略)向こうは、馬車を(レールから)外しちまうんだ」と記されています。
入間馬車鉄道と中武馬車鉄道は、地域の期待を背負って開業したものの、地場産業の衰退、日露戦争による馬の徴発や、戦争による物価高騰などの影響を受け、経営不振となります。そこへ1915(大正4)年に池袋と飯能を結ぶ武蔵野鉄道が開通すると、乗客を奪われ利用者は激減。1917(大正6)年には中武馬車鉄道、入間馬車鉄道の順で廃止され、その短い歴史に終止符が打たれました。
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