街中の湖に米軍爆撃機の名前なぜ!? 傍らには同名のカフェも 現地へ行ったら衝撃の光景が

ベトナムの首都ハノイには「B-52湖」なる場所があります。まるで団地の棟番号のようですが、由来はなんと米空軍の戦略爆撃機だとか。なぜそのような名称なのか、現地へ行ったら驚きの光景が広がっていました。

大国の脅しに屈しなかった“誇り”か?

 アメリカ軍は、このB-52が撃墜された当時「ラインバッカーII」作戦という大規模な爆撃作戦を実施していました。これは、第二次世界大戦以降に実施された爆撃作戦で最大規模のもので、11日間の作戦期間中に2万t以上の爆弾がハノイとハイフォンの攻撃目標に投下されています。この作戦で戦力の中核を担ったのがB-52で、約1万5000tの爆弾が同機から投下されたそうです。

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B-52湖にあるモニュメント。後ろに見えるのがB-52の残骸(布留川 司撮影)。

 爆撃は軍事拠点や工業地帯を中心に行われましたが、一方で約1600人(ベトナムの公式発表)の民間人が死亡しています。また、ベトナム軍(当時は北ベトナム軍)も迎撃戦闘を行い、15機のB-52を撃墜しています。

 これら被害と戦果を鑑みると、現ベトナム政府にとっては戦争の歴史を後世に伝えるうえで、B-52をシンボル的な存在として捉えていると言えるのかもしれません。だからこそ、フーティエップ湖に墜ちたB-52をあえて撤去せずにそのまま保存していると考えられます。

 なお、このフーティエップ湖の近くにはB-52戦勝博物館という常設展示施設があり、こちらにはより多くの残骸がB-52の原型に近い形で組み合わされて展示されています。博物館の解説には、当時の北ベトナム側の主張が強調された部分も見受けられたものの、日本国内で目にする欧米主体の考えとは異なる部分もあって興味深いものでした。

 現在は観光地として有名なハノイですが、このような軍事関連の展示施設は複数あります。ハノイ市中心部には、フランス植民地時代やベトナム戦争で使われたホアロー捕虜収容所が公開されており、郊外にはベトナム軍事歴史博物館という大規模な博物館が新しく作られています。

 これら施設はプロパガンダ的な展示も多いものの、ベトナム側の歴史認識を知るうえで参考になる部分も多いため、観光のついでに寄ってみるのもいいかもしれません。

【すべてがデカい!!】湖の外に残されたB-52の主翼や胴体をイッキ見(写真)

Writer:

雑誌編集者を経て現在はフリーのライター・カメラマンとして活躍。最近のおもな活動は国内外の軍事関係で、海外軍事系イベントや国内の自衛隊を精力的に取材。雑誌への記事寄稿やDVDでドキュメンタリー映像作品を発表している。 公式:https://twitter.com/wolfwork_info

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