陸軍に「潜水艦」配備なぜ!? 旧日本軍が欲した切実な理由 極秘にし過ぎて「トホホな顛末」も
予算などで常に対立関係にあったといわれる旧日本軍の陸海軍。その代表例のひとつと見なされているのが、陸軍が潜水艦を保有したというもの。ただえは、その誕生の理由はかなり切実でした。
もちろん海軍に秘密で建造計画を立ち上げる
「まるゆ」は1943年初頭に計画が始まりますが、その情報は極秘扱いとされます。その徹底ぶりは味方である海軍に対しても行われ、設計・建造の一切について海軍に協力を得ず、陸軍単独で進められました。そのため、第一次世界大戦でドイツが海中輸送を想定して開発した潜水艦、SMU-151を参考とされました。
しかし、国内の造船所は消耗した海軍艦艇の建造だけでなく、損傷を受けた民間の輸送船や商船、漁船などの修理で手一杯であり、陸軍の潜水艦など作る場所はありません。
仕方なく陸軍は、通常の艦船よりも高度な技術が必要なはずの潜水艦を、民間のボイラー工場などに依頼したのです。
設計は陸軍の技師、建造は民間のボイラー会社、まったくの素人たちによる潜水艦建造計画は、困難を極めたといいます。しかも、そこまで秘匿したにもかかわらず、陸上兵器では必要のない潜望鏡を発注したのが原因で海軍に計画が露見。最終的に、試作1号挺の潜航試験には、海軍関係者も招いています。
素人集団が建造した1号艇の潜航試験はトラブルの連続であったとか。トリム(潜水艦の水平バランス)のコントロールが非常に難しく、頭が沈めばお尻が浮き、お尻が沈めば頭が浮く、という状態になり最初は全く潜水できなかったそうです。ただ、最終的には、時間をかけてようやく完全な潜水状態にまで到達しました。
ただ、それまでの経緯ゆえに、水面下で航行を停止したままの潜水艦を見て、海軍将校たちは「落ちた(沈没した)!?」と騒然になったそう。その一方で、陸軍の技師らは、満面の笑みで「潜水成功」を喜んだといいます。
なぜ、このような認識のギャップが生まれたのかというと、その要因として「まるゆ」が海軍の常識では考えられない潜航方法を採用していた点が挙げられます。
通常、潜水艦は航行しながら潜航に移る方式を取るのが当時の常識でした。しかし、陸軍の試作1号挺は停止した状態で潜航し、その後航行に移るというシステムを採っていました。ゆえに、海軍将校が慌てて「沈没、試験停止!」と叫ぶのを、陸軍関係者が「違う、沈没ではない」となだめたという逸話まで残っています。仲の悪い陸軍と海軍ですが、さすがに浮上した「まるゆ」を確認したときは海軍将校たちも胸をなでおろしたといわれています。
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