陸軍に「潜水艦」配備なぜ!? 旧日本軍が欲した切実な理由 極秘にし過ぎて「トホホな顛末」も

予算などで常に対立関係にあったといわれる旧日本軍の陸海軍。その代表例のひとつと見なされているのが、陸軍が潜水艦を保有したというもの。ただえは、その誕生の理由はかなり切実でした。

味方の民間船に敵と勘違いされ体当たりを受ける

 ある意味、喜劇のような混乱を挟みながらも、なんとか任務遂行は可能であると判断され、「まるゆ」は38隻が建造されました。なお、1隻の乗員は26名でしたが、そのほとんどは、陸軍の軍港である宇品で鍛えられた船乗りではなく、元戦車兵だったといいます。戦車兵は暗くて狭い場所での操縦に耐性があるだろうと思われたからだとか。また、魚雷もなく戦車砲が防御火器として用いられていたため、その点でも都合がよいとされた模様です。

Large 20250121 01

拡大画像

アメリカ海軍に調査される「まるゆ」(画像:アメリカ海軍)。

 海軍は当時、約100m近い大型の潜水艦を建造していましたが、この「まるゆ」は半分以下の約41mしかありません。全幅も3.9mしかありませんでした。また潜水航行に必要な最低限の計器もほとんど搭載されておらず、乗員の付け焼刃のような技術でカバーしていました。そのため急速潜航時に安全深度を突破してしまい圧壊しそうになった話なども数多く残されています。

 スピードも遅く、素人のような操艦でのろのろと航行する様子は、敵である米英軍だけでなく、日本海軍や民間船にも不気味な存在にうつったようです。1944年には、海軍の艦から「汝はなにものなるや?」の打電を受けたほか、日本郵船所属の戦標船に体当たり攻撃を受けて損傷するなど珍事もおきました。徹底的に存在を秘匿した影響なのか、それだけ「まるゆ」は陸軍の船として一般には浸透していなかったということになります。

 取り立てていいところもなかった「まるゆ」でしたが、最大の活躍は1944年11月にやってきました。1944年10月頃から行われたレイテ島輸送作戦です。フィリピンのマニラに到着した3隻の「まるゆ」は、レイテ島地上戦に伴う輸送任務を行うことになります。すでに制空権、制海権ともに連合軍に掌握され、海軍の第二水雷戦隊に護衛された第三輸送部隊が全滅するなど、事態は悪化の一途をたどっていました。マニラも攻撃を受け、巡洋艦やスタンバイしていた輸送船団も全滅。そこで、レイテ島で戦い続ける陸軍に物資を届ける役として、「まるゆ」に白羽の矢が立ちます。

 3隻の「まるゆ」は、激しいアメリカ軍の攻撃にさらされ、1隻を失うも何とかレイテ島に到着。米やバッテリーなどを届けました。これは陸軍潜水輸送艇の最初の戦果であり、大本営陸軍部は感涙したとか。しかし、輸送には成功したものの、マニラに戻るとすでにそこは連合軍が占領しており、港湾機能は喪失していました。なんとか「まるゆ」も近くに港に退避しますが、連合軍の爆撃を受け、残った2隻も失われてしまいます。

 その後は、大きな活躍もなく、400隻建造される予定だった「まるゆ」は、最初の38隻だけで終わりました。終戦時に現存していた船体もその多くは日本を占領したアメリカ軍の命令により解体処分となりました。

【元ネタあったのか…】これが「まるゆ」の参考にされた輸送潜水艦です(写真)

Writer:

なぎはまな。歴史は古代から近現代まで広く深く。2019年現在はフリー編集者として、某雑誌の軍事部門で編集・ライティングの日々。趣味は自衛隊の基地・駐屯地めぐりとアナログゲーム。

最新記事

コメント