激レアYS-11の機内に40年前の遺構が「TDAって何だよ!?」期間限定で披露します

茨城県にあるテーマパーク「ザ・ヒロサワ・シティ」には、戦後初の国産旅客機「YS-11」の量産初号機が保存・展示されています。このたび機内見学したら、30年以上前に姿を消した航空会社の“残り香”を見つけました。

東京オリンピック開催で羽田から茨城へ

 科博廣澤航空博物館のYS-11は、試作機の改良結果を反映した量産初号機(登録記号JA8610)に当たります。初飛行は1964年10月23日で、運輸省航空局が飛行検査機「ちよだII」として1998年12月18日まで運用していました。

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「ユメノバ」で保存・展示されているYS-11量産初号機の機内(深水千翔撮影)。

 現存する機体としては、千葉県芝山町にある航空科学博物館の試作1号機に次いで古く、日本の航空史を語る上で欠かせない非常に貴重な機体です。引退後は運輸省から国立科学博物館に移管され、約20年にわたって羽田空港の格納庫で動態状態を保ったまま大切に保存されていました。

 しかし、保安上の理由から常に一般公開することは難しく、国際化の進展に伴う施設の整備やビジネスジェットエリアの工事、保管格納庫の解体といった出来事も重なり、早期の移設を模索する必要がありました。羽田空港付近に航空機展示施設を作り、そこに設置する構想や相模原市内に展示する計画などがあったものの、結局は立ち消えとなっています。

「具体的な移設のきっかけは2020年に開催が予定されていた東京オリンピックだった。羽田空港にビジネスジェットの駐機場を整備するため、YS-11の新たな保管場所が必要になった」と前出の野口専務は述べています。2020年にザ・ヒロサワ・シティへの移設が行われたものの、今度はコロナ禍で国立科学博物館の財政状況が悪化したことで再組み立て費用が不足し、最終的に3000万円をクラウドファンディングで賄いました。

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