「日本一運賃が高い」の噂も返上へ!? 南海「泉北線」誕生の大きな“意味” 長年のライバルに差をつける
南海電鉄と泉北高速鉄道が合併し、「南海泉北線」が誕生。一連の融合策の総仕上げとなります。南海は「日本一運賃が高いと言わんとってな」と自虐ネタで値下げをアピールし、ライバルの地下鉄に対抗します。
地下鉄きちゃった! 南海は「露骨な施策」で対抗
泉北高速をめぐる状況が変わったのは1987年です。同年4月、地下鉄御堂筋線の我孫子~中百舌鳥間が開業しました。堺市の悲願がようやく叶いました。

これに困惑したのが南海です。泉北高速線から中百舌鳥駅で地下鉄に乗り換えて大阪都心へ向かう人たちが増えて、高野線の大幅な利用減が予測できたからです。
そこで奇策を打ちました。地下鉄延伸の直前にダイヤ改正を実施し、朝夕のラッシュ時に光明池~難波間を速達する区間急行の運行を始めました。
この区間急行は泉北高速線内で深井駅までの各駅に停車して高野線に乗り入れますが、地下鉄との接続駅である中百舌鳥駅を通過します。御堂筋線への乗換を不便にする露骨な策で、新聞に批判されたりもしましたが、それだけライバルの登場に危機感があったのでしょう。
実際、南海中百舌鳥駅の他会社線からの乗車人員は1986年5.7万人/日から1988年4.6万人と2割減となります。この減少分が南海高野線から地下鉄に流出したと思われます。
泉北高速線の利用のピークは1996年です。前年1995年に光明池~和泉中央間が開業し、和泉市の丘陵部に整備されたニュータウン「トリヴェール和泉」への玄関口となりました。これに際し運転士や駅員も泉北高速の社員に切り替えられました。
ただ、泉北高速線の乗車人員は1995年16.6万人から、2005年14.1万人、2015年13.6万人と20年間で約2割減少します。2013年には朝の10両運転を中止しました。
泉北ニュータウンには、第一次ベビーブーム世代、その子供の第二次ベビーブーム世代が多く居住していましたが、人口は1992年の16.5万人をピークとして、2020年には11.7万人まで減少しました。住民の高齢化、若者の域外流出が進み、通勤客数も減りました。
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