オートバイと戦車が合体!? 奇妙な乗りもの「履帯バイク」とは 宮城県でコンビニ行くのに使われてた!

第2次大戦中には、前が車輪で後ろが履帯という形状のハーフトラックが各国で作られました。その最小形といえるのが、ドイツが開発した「ケッテンクラート」。日本にある希少な現存車を見てきました。

民間用から軍用になった「履帯バイク」

 前部がバイク形状の半装軌車両は、もともと営林署や民間の林業関係者などが、資材や伐採した木材を運ぶトレーラー用途として使えるよう設計されたのが端緒です。開発は第2次大戦前の1938年に、自動車メーカーのNSU社で始まりました。

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1943年から翌年に掛けての冬期ロシア戦線で撮影されたケッテンクラート前期型。フェンダー左右には後期型より廃止された涙滴形の車幅灯が見える。今回見学した実車は最後期型だが、ウィンカーとして使用するために装着している(吉川和篤所蔵)。

 木々が密集して狭く急勾配の多い森林地帯では、従来の馬車や自動車では作業に向いていなかったので、小型でもグリップ力を発揮する履帯装備のハーフトラック方式が有利だと考えられたのです。そして小型軽量化と小回りを重視して、前部がバイクのような1輪形式が選ばれました。

 試作車(Kfz.620)はNSU社のハインリッヒ・エルンスト・クニープカンプ技師を中心にしたチームで製作され、ドイツ軍がポーランドに侵攻して大戦が勃発する直前の1939年6月に特許が付与されています。

 当初、ドイツ軍はこの小型ハーフトラックに興味を示しませんでしたが、戦争の推移と共に輸送や空挺作戦の補助車両に使えるのではないかと目を付け、1940年から陸軍兵器局の元で試験や改良が行われました。そして原型のKfz.620型の構造やエンジンが強化されて、大きく外見が変わった新型が誕生、「Sd.Kfz.2」の型式名で1941年6月に制式採用されたのです。

 当初は「ケッテンクラフトラート」(履帯オートバイ)と呼ばれ、後に「ケッテンクラート」(履帯バイク)の簡略名に変わった同車は、サイズの割にはやや重く、総重量は1250kgありました。しかしオペル社の2ドア/4ドアセダン車「オリンピア」用の水冷直列4気筒OHVガソリンエンジン(36馬力/1488cc)を搭載したことで、路上では最高時速70km/hを出せました。

 なお、履帯を巻いた後部の転輪は、後の「パンター」戦車や「ティーガー」戦車を思わせる千鳥足の配置で、履体も路上走行を考慮してゴムパッドを取り付けるなど凝った造りでした。

 バスタブにも似た車体下にはトーションバー式サスペンションが配置され、内部に搭載されたエンジンとクラッチ、変速機やギアボックス、操向用ブレーキはユニットで一体化していました。そのためユニットごと取り外すことが可能で、整備しやすいという特徴もありました。ちなみに、1942年からは物資の運搬が可能な専用トレーラーの配備も始まったことで、輸送能力はさらに向上しています。

【どうやって操縦するの?】レバー林立の「ケッテンクラート」運転席です(写真)

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