オートバイと戦車が合体!? 奇妙な乗りもの「履帯バイク」とは 宮城県でコンビニ行くのに使われてた!

第2次大戦中には、前が車輪で後ろが履帯という形状のハーフトラックが各国で作られました。その最小形といえるのが、ドイツが開発した「ケッテンクラート」。日本にある希少な現存車を見てきました。

戦後に消えたハーフトラック車両

 ドイツ軍に配備されたケッテンクラートは、空挺部隊や山岳部隊で対戦車砲や軽山砲の牽引、物資の輸送などに用いられ、ロシア戦線の雪解け時期にはバイクやサイドカーが走り辛い深い泥濘でも、問題なく走破しています。さらに飛行場では滑走路への軍用機の移動や爆弾や弾薬の運搬に重宝されました。

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オリジナルのケッテンクラートは、日本国内でも複数台の存在が確認されている。写真の車体は大阪府門真市の海洋堂本社倉庫に保管される、走行可能な後期型である(吉川和篤撮影)。

 こうして大戦の全期間にわたって多用されたケッテンクラートは、ドイツ国内のNSU社やストーバー社で約8800両が生産されました。戦後もアメリカの許可を得たうえで、再建されたNSU社において民間車として約550両が造られており、疲弊したドイツの貴重な外貨獲得手段として海外にも輸出されています。

 なお、その中には前輪を廃止してレバー操作の全装軌式に変更したタイプも含まれていました。一方、国内に目を向けると、農業や林業用の小型トラクターとして、戦後の復興に従事しています。このあたりのハナシは、戦後の日本で民間向けに改造された「更生戦車」とも似ているでしょうか。

 しかしケッテンクラートをはじめとした半装軌車両は、製造や整備にかかる費用や手間が、通常の装輪車や装軌車と比べ多くかかかることから、戦後しばらく経つと次第に姿を消すようになります。結果、2025年現在、各国で運用されている兵員輸送装甲車は装輪式か装軌式ばかりで、ハーフトラック式は新たに作られていません。

 冒頭に記した宮城のケッテンクラートは、第2次大戦中の1944年以降に生産されたオリジナルの最後期型です。以前は静岡県御殿場市のカマド自動車でレストアおよび保管されていた個体でした。

 その後、現オーナーが購入、「ワンダーフェスティバル」などのイベントに出動しています。特殊小型車の登録もされて緑ナンバーも付いており、時々整備を兼ねてエンジンを回して近所のコンビニまで走っているそうです。この80年以上前に作られた“老兵”が、これからも元気でコンビニ通いを続けられることを願って止みません。

【どうやって操縦するの?】レバー林立の「ケッテンクラート」運転席です(写真)

Writer:

1964年、香川県生まれ。イタリアやドイツ、日本の兵器や戦史研究を行い、軍事雑誌や模型雑誌で連載を行う。イラストも描き、自著の表紙や挿絵も製作。著書に「九七式中戦車写真集」や「イタリアの中戦車・重戦車写真集 」、「イタリア軍写真集」など。

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