世界の鉄道が「ものすごい貨物量」に対応できたワケとは? 「規制で縛る」をやめた結果【物流と鉄道“失われた30年”中編】
この30年で国際物流は急激に伸長した一方で、日本国内の物流は人手不足が深刻、でも貨物量は微減、JR貨物の輸送量は半減しました。ではなぜ海外は、それを可能にする大規模投資ができたのでしょうか。
欧米の貨物量が爆上がりした理由 できたワケ
「失われた30年」と言われる日本の衰退を招いた原因の一つがコンテナ革命への対応の差であったことを前回の記事で紹介しました。欧米の物流が大規模投資により装置産業に変身したのに対し、日本のコンテナ革命は港で止まってしまい、陸運は労働集約的な姿のままになっています。

でも、不思議です。なぜ欧米各地で、簡単ではない“大規模投資”と、船や鉄道など輸送機関同士の“共創”が実現できたのでしょう。
20フィートコンテナを約2万4000個も積載可能な巨大コンテナ船が寄港できる大水深の巨大港や、各地のコンテナターミナル駅を建設するには、巨額な投資が必要です。国や自治体・民間がお金を出し合う協調も必要ですし、装置化は港湾労働者の沖仲治や労働組合の反発も大きく、仕事のやり方も大きく変わり、海運・鉄道・トラックの連携は利害もあるので、足並みは簡単には揃わないはずです。
衰退からの「奇跡的な復活躍進」 米国の鉄道
その秘密を探るには1900年まで遡る必要があります。鉄道政策の歴史は独占との闘いでした。
かつて米国では、鉄道が特定の資本に独占された結果、内陸水運は価格競争を仕掛けられて退出し、大口顧客を優遇する一方で一般向けの運賃は値上げされ、国民にとって不利益となる方向に進んでしまったのです。これは米国民の怒りを買い、政府は鉄道に2つの“足かせ”を付けました。
一つは独占禁止法とFTC(連邦取引委員会 Federal Trade Commission)。これでルールが決められ破壊的な競争には審判が判定を下すようになりました。もう一つはICC(州際通商委員会 Interstate Commerce Commission)。これは鉄道事業やトラック運送に厳しい規制をかけました。運賃や輸送ルート、廃線などすべて政府の認可が必要になったのです。こうして破壊的な競争は抑えられました。
ところが、1970年代から米国の民営鉄道が次々に破綻しました。厳しい規制で経営が硬直化して立ち行かなくなったのです。破綻した鉄道は政府が買い上げて国有化し、Amtrak(アムトラック:全米鉄道旅客公社)やConrail(コンレール:統合鉄道公社)になりました。
こうして厳しい状況となった米国の鉄道ですが、どん底から10年後に奇跡の躍進が始まります。
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