渋い、渋すぎる…ホンダ「クラブマン」GB250 そのスタイルが一時期“ブレちゃった”ワケ
1980年代から爆発的ヒットを記録し、「ヤマハの二輪史上、最も売れたバイク」として知られるSR400/500。そのライバルと位置付けられていたのが、ホンダGB250クラブマンです。モデルチェンジを挟み、様変わりした同車の歴史を紐解きます。
時代を読めなかった? クラシカルブーム直前のモデルチェンジ
実に優れたモデルであるにもかかわらず、クラブマンがSRの陰に隠れる格好になった理由の一つは、1989(平成元)年のクラブマンのモデルチェンジにあったかもしれません。この前後から、クラブマンとヤマハSRシリーズとの“ライバル”的な関係が始まります。

ヤマハはSR発売当初の売れ行きの低迷からなのか、クラブマンが登場した翌年には、SRの派生モデルとしてSRX250をリリースします。このSRX250こそ、実はクラブマンの排気量やコンセプトに対抗したようにも感じられるモデルで、SRよりもスポーツ志向に寄せていました。
それでいながらSRX250のデザインは、クラシカルなSRとは真逆の先鋭的なもの。それまでのバイクにはない独特の存在感を放っており、当時のバイクユーザーがSRX250とクラブマンを並べて見た際、明らかにSRX250がカッコ良く映り、一方のクラブマンは「なんだか古臭い」と感じたことでしょう。
そんな経緯があったからなのか、クラブマンのモデルチェンジでは初代のクラシカルな良さを廃し、「SRX250ほどの先鋭性」とまでは言わないものの、やや近未来的に寄せた意匠へと変更してしまったのです。このモデルチェンジから間もなくして、爆発的なカフェレーサー風カスタムブームが起きることをホンダが予見できなかったことで、結果的にクラシカルを貫いたSRに絶大な支持に繋がったようにも思います。
結果的にSRが43年という長きにわたるロングセラーとなった一方、クラブマンは14年間で生産終了に至りました。しかし、特にクラブマンの初代モデルはエンジン、外観とも実に完成度の高いモデルであり、ノーマルでも十分楽しいバイクだったように思います。
「時代ごとに異なるニーズとの微妙なズレ」「他社のモデル(SR)との相対関係」によって姿を消したクラブマンですが、今振り返ってみるとホンダが生産してきた中型のバイクの中でも、実はかなりコンセプチュアルであり、完成度の高い1台だったように思います。
Writer: 松田義人(ライター・編集者)
1971年、東京都生まれ。編集プロダクション・deco代表。バイク、クルマ、ガジェット、保護犬猫、グルメなど幅広いジャンルで複数のWEBメディアに寄稿中。また、台湾に関する著書、連載複数あり。好きな乗りものはスタイリッシュ系よりも、どこかちょっと足りないような、おもちゃのようなチープ感のあるもの。
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