こっちのローカル線は「アウト」 理不尽に切られた廃線跡に残る“奇跡の光景”とは? 「セーフ」の区間はいま岐路に

大阪・関西万博期間中に利用者が増えるか“試されている”JR加古川線の末端区間。35年前、この区間は「セーフ」となり存続しましたが、引き換えに「アウト」となって廃止された区間を歩くと、並々ならぬ地元の思いが感じ取れました。

当時の車両は“超ド派手”に

 旧鍛冶屋線の区間は1921年5月に西脇から市原へ延び、23年5月に終点の鍛冶屋まで延伸して全線開通しました。

 旧西脇駅から北へ続く路線跡の道路は「レントン通り」と名付けられています。これは西脇市政50周年を迎えた2002年4月、姉妹都市のアメリカ西部ワシントン州レントン市にちなんで命名されました。24年にレントン市を訪れたばかりだった筆者は懐かしい気分になりました。

 さらに北進し、杉原川を沿って歩いていると驚くべき“史跡”がありました。

 かつて鍛冶屋線を走り、車体外側に備えた「外吊りドア」が特徴的なディーゼル車両キハ30が2両並んでいたのです。子どもや動物などを色彩豊かに描いた塗装は2010年に施され、「おとぎの国の列車」と名付けられています。

 傍らには1920年築の洋風建築だった鍛冶屋線市原駅舎を93年に復元した「西脇市立鍛冶屋線市原駅記念館」が建っています。延べ床面積75.62平方メートルの屋内には、きっぷ売り場があり、旧市原駅の時刻表や運賃表、列車に付けられていたサボ(行き先表示板)などが展示され、鍛冶屋線の歩みを伝えています。入場は無料です。

 北西へ進んだ一角に、旧中村町駅の駅名標が出現しました。ここは駅の跡地に整備された「あかね坂公園」で、「ゆめ列車」と名付けて鍛冶屋線の沿革をイラスト入りで紹介した看板も立てられています。

 多可町文化会館ベルディーホールの先から終点の鍛冶屋駅跡までの線路跡は、全長1.4kmの歩行者と自転車の専用道「ぽっぽの道」(別名「水と風の遊歩道」)が延びています。

 杉原川に架かる橋梁には鍛冶屋線の走行風景の写真が飾られ、沿道には信号用器具箱が残されており、列車が走っていた時代が目に浮かびます。信号用器具箱の一つは鉄道電機産業(現・てつでん)の製品で、製造月日は「昭和40(1965)年8月」と記されていました。

 木造の旧鍛冶屋駅舎は「鍛冶屋線記念館」となっており、駅名標が立てられたプラットホームにもキハ30が1両たたずんでいました。こちらはエメラルドグリーン色に白帯が入った引退時の塗装のままです。

 ここから西脇市駅まではウイング神姫の路線バスが45分前後で結んでいます。

【理不尽にも「アウト」】廃線に残る“奇跡の光景”(地図/写真)

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