ローカル線「異様なゆっくり運転区間」のナゾ 西日本でやけに多い“徐行を始めた理由”

ローカル線で「異様に速度を落として運行する区間」が、JR西日本で特に多く設定されています。なぜ速度を落とすようになったのでしょうか。JRもやる気がないわけではなく、突き詰めていくと“やむを得ない”実態も見えてきます。

「必殺徐行!」と揶揄される“ゆっくり運転区間”

 列車で旅をしていると、線路脇に「60」や「85」と書いた白い看板が点在しているのに気づくかと思います。いわゆる速度制限標識です。通過する列車は、減速して定められた速度を下回るよう走ります。そこは道路標識と同様です。

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かつての三江線を行くキハ120。全線100kmのうち4割に時速30キロ以下の「常時徐行」区間があり、低速での運行を強いられていた(森口誠之撮影)

 ただ、JR西日本の中国地方を走るローカル線、芸備線、木次線、因美線などに乗っていると、「25」や「30」と極端に低い数字の標識が設置されているのに気づきます。

 順調よく時速60キロぐらいで走っていても、標識が視野に入ると、がくんとスピードは落ちていきます。時速25キロに徐行して、また加速して、標識の先で減速して……の繰り返しです。JR西日本では、こうした運転方法を「常時徐行」といいます。一部の趣味の人は「必殺徐行」なるスラングで呼んでいるようです。

他社でも徐行区間を設けている路線はありますが、JR西日本の徐行箇所の多さは半端じゃありません。乗客は、その減速具合に、まどろっこしい気分にさせられます。

 なぜ「常時徐行」が行われるようになったのか。話は20年前にさかのぼります。

「常時徐行」、始まりの路線とは?

 2005年9月、筆者は、山陰地方で鉄道趣味の旅をしており、三江線の駅を1つずつめぐる行程を組んでいました。三江線は山陰本線江津駅と広島県三次駅を結ぶ路線でした。全線開業したのは1975年と中国地方では一番新しい国鉄線でしたが、利用者数は極端に少なく、後に2018年で廃線となります。

 三江線の主力はキハ120。1990年代に新製された小型気動車です。軽量ゆえに国鉄型気動車より加減速性能はよく、ローカル線のスピードアップに貢献していました。

 ただ、いつもと一つ違う点がありました。平地の直線区間では軽快なスピードで走るのですが、あちこちで時速20~30キロぐらいに徐行をするのです。

 運転台の後ろから観察していると、見通しが悪い箇所、曲線区間の入口、急斜面のある箇所などで速度制限標識があるのに気づきました。キハ120だからこそ対応できているのでしょうが、その走り具合に違和感も覚えたのも正直な印象です。

【標識に注目!】これが「異様なゆっくり運転になる区間」です(写真)

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