「世界初の新造空母」はなぜ日本で生まれたのか “空母の実用化”を下支えした「鳳翔」の半生

1922(大正11)年、旧日本海軍は世界初となる「最初から空母として建造された」軍艦を完成させます。名前は「鳳翔」。なぜ日本が、世界でも珍しかった新造艦を率先して建造できたのでしょうか。

イギリスで検討された、艦載機の甲板上での離発着

 1914(大正3)年、日本はイギリスの同盟国として、第一次世界大戦に参戦。ドイツが統治する青島を攻略するために、旧日本海軍は初めての水上機母艦「若宮丸(若宮)」を実戦参加させ、世界で初めて艦載機による偵察や爆撃を行いました。

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就役当時の「鳳翔」(画像:アメリカ海軍)

 これは、フロートが付いた水上機を水面に下ろして、滑走させる方法での艦載機の運用でした。一方、イギリスは1915(大正4)年頃から車輪式航空機を艦上で運用する検討を開始。1917(大正6)年に、巡洋艦を改装する形で車輪式航空機の発着が可能な航空母艦(空母)「フューリアス」を就役させました。

「フューリアス」は艦の中央部に艦橋や煙突を備え、艦の前方に発艦用の甲板、艦の後方に着艦用の甲板を備えたデザインでした。このデザインの問題点は「発艦は成功するが、着艦は大半が失敗に終わる」ことでした(エドウィン・ダニングというパイロットによる着艦など、成功例もあります)。いかに当時の陸上機の着艦距離が短くて済むとはいえ、中央にそびえ立つ煙突からの排煙に邪魔されつつ、短い飛行甲板に降り立つのは無理があったのです。

 日本はこの時期、「フューリアス」のような「前部に発艦甲板、後部に帰着甲板」を備えた、最高速度30ノット(時速55.6km/h)で24機程度を搭載した、新型水上機母艦を計画していました。しかし、設計開始後にイギリスから空母として新規設計された「ハーミーズ」の情報を入手したことから、1920(大正9)年頃に「空母」に設計を変更。その結果、完成したのが「鳳翔」です。「鳳翔」は、「ハーミーズ」よりも早く完成したことから、既存の軍艦からの改造ではなく、「空母として建造され、就役した世界で最初の空母」となりました。

【写真】日本初であり、世界初でもある空母「鳳翔」

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