「ジープの生みの親」≠クライスラーだから! “世界的名車の開発元”を襲った悲劇とは?
第2次世界大戦で活躍し、戦後は民間向けに販売されて人気となった「ジープ」。その誕生には、アメリカ軍と複数のメーカーによる紆余曲折がありました。歴史に残る傑作車を発明しながら悲劇に見舞われた元祖「ジープ」の開発メーカーを紹介します。
零細の自動車メーカーが「ジープ」を発明
アメリカン・バンタムだけが陸軍の求めに応じて、短期間で小型軍用車両を完成させることができたのは、このメーカーがアメリカでは珍しい小型車専門メーカーだったからです。その前身はアメリカン・オースチンで、この会社は小型車を得意とするイギリスのメーカーの現地法人であり、デラウェア州の工場で左ハンドル化されたオースチン「セブン」を生産していました。しかし、世界恐慌の余波で同社は倒産します。そして、実業家のロイ・エバンスがアメリカン・オースチンの資産と生産設備を買い取り、1936年に設立した新会社がアメリカン・バンタムでした。

アメリカン・バンタムは、1938年にオースチン「セブン」の発展型である「60シリーズ」の市販を開始しますが、このニューモデルはまったく売れず、創業当初から深刻な経営不振に陥ります。そのような時期にもたらされたのが米陸軍による小型軍用車両の公募でした。これを起死回生のチャンスと見た社長のエバンスは、チーフエンジニアであったハロルド・クリストと相談の上、フリーランスの自動車技術者カール・K・プロブストを招聘。クリストがプロジェクトマネージャーを務める一方で、プロブストが設計・開発・製造を担当し、急ピッチで開発作業が行われました。
こうして完成したアメリカン・バンタムの試作車が「ジープの元祖」であり、開発者のカール・K・プロブストが「ジープ」の生みの親となったのです。
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