チビすぎ? 地味すぎ? 今や見向きもされない「戦車王国の原点」I号戦車 けっこうスゴいんだぜ…?

ドイツ戦車といえばパンターやティーガーが代表格ですが、一方でI号戦車は地味すぎる存在です。しかし練習用や習作として開発されたこのI号戦車は、名前のとおり後の戦車王国の原点となります。

その後の戦争を変えたI号戦車の「習作」としての特徴

 I号戦車には「習作」として機構的に見るべき特徴がいくつかあります。当時としては画期的だった全溶接構造の車体を採用していますが、これは以後のドイツ戦車設計に標準となる先進的な工法でした。

 当時主流だったリベット止めに比べて防御力と整備性が向上し、戦場での耐久性にも影響を与えました。操縦席と戦闘室は非常に狭く、乗員は基本的に2名でしたが意思疎通用の車内伝声管が用意されていました。

 特筆されるのは、全車にFu.2受信機またはFu.5送受信機という無線機を標準装備したことです。当初はFu.2受信機が中心で、操縦手が無線手を兼任して操作しました。Fu.5を装備したI号指揮戦車によって指揮を受け、部隊としての統一行動が可能になりました。

 当時の無線機は容積が大きかったのですが、搭載弾薬数を減らしてでも車体に詰め込んだことには意味がありました。戦車は単独ではなく部隊で運用するという、後のいわゆる「電撃戦」につながる近代機甲戦の概念を実現可能した装備だったのです。当時の他国戦車は、無線機を搭載しているのは中隊長、良くて小隊長車以上であり、各車との通信は手旗信号を使っているような有様で、小隊単位ですら臨機応変の指揮統制は困難でした。

 また、搭載されたエンジンはクルップ社製M305空冷4気筒水平対向エンジン(出力57馬力)で整備性には優れていました。しかし出力不足は否めず、走破性や長距離移動での信頼性には課題がありました。オーストリア併合時の600kmを超える移動では、戦闘したわけでもないのに約3割が脱落しています。しかしこのような限界も、後の兵站を構築する教訓として生かされていくことになります。

 また、とにかく数をそろえることで多くの将兵が戦車というものを実体験し、戦術や運用を研究して経験値を稼ぎ、戦車部隊を育成する機能を果たしました。産業界もまた、設計・量産・整備といったプロセスを通じて装甲車両に対するノウハウを獲得していったのです。

 ドイツ陸軍の再軍備計画ではI号、II号戦車は練習用であり、続くIII号、IV号戦車が実戦用となるはずでした。I号戦車はスペイン内戦に投入されましたが、やはり実戦向きでないことが露呈します。しかし国際政治は想定通りには運びません。

【当時の写真】東京で展示されたI号戦車を見る

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