アニメや映画の戦闘機「やたら格闘戦しすぎ!」いまや背後を取るのは “時代遅れ” です

映画やアニメでおなじみの軍用機どうしの格闘戦(ドッグファイト)。しかし、昨今の空中戦ではそのような接近戦は行われません。見えない敵との戦いが主流になっているのに、なぜフィクションはドッグファイトを描き続けるのでしょうか。

戦闘機の戦いは、すでに「見えない」戦場へ

「くっ、ミサイルをかわしたか……次は機銃で仕留める!」

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エアショーにおいて戦闘機同士の格闘戦を展示するSu-27の4機編隊。こうした距離での格闘戦は、現代ではほとんど姿を消している(関 賢太郎撮影)。

 コックピットで額に汗をにじませながら、敵機の背後を取ろうとする主人公。その動きはタカやワシなどの猛禽類のように鋭く、敵の残像を追い続けるカメラワークは、観る者の心拍数を確実に高めます。こうした格闘戦(ドッグファイト)の描写は、アニメや映画において、戦闘機を扱う映像作品には欠かせない「お約束」として長く親しまれてきました。

 しかし、冷静になって考えてみると、これは現実とは異なるおかしな描写です。現代の戦闘機による空中戦は、本当にこのような肉弾戦めいた近接格闘の連続なのでしょうか?

 結論から言えば、「ほぼノー」です。現代の空戦の主戦場は、機関砲の届く距離ではなく、むしろ目視も不可能な遥か彼方、すなわち「BVR」と呼ばれる視程距離外(Beyond Visual Range)で行われます。現代における戦闘機の戦いは、見えない敵と、見えない場所で、ミサイルを撃ち合う戦いになっているのです。

 現代の戦闘機は、数十~数百km先の目標を捉え、撃墜する能力を備えています。使用されるのはレーダー誘導ミサイルで、代表的なものにはAIM-120「アムラーム」や、ロシアのR-77、中国のPL-15などがあります。

もはや背後は取れない? 進化するミサイルと戦術

 BVR戦闘では、まず敵の位置をできるだけ早く探知するために、戦闘機自身のレーダーだけでなく、僚機や早期警戒機、さらには地上レーダーとのデータリンクを活用して、空域の情報を共有します。目に見える相手を「追う」のでなく、センサーと情報の網で相手を「捕らえる」のです。

 なお、敵を捉えた後は、パイロットは迅速に「撃つべきか否か」を判断しなければなりません。なぜなら、撃てるということは、同時に撃たれる可能性があるということを意味するからです。

 加えて、BVR戦闘において最も重要なのは「発射後の即時離脱」です。理想的には、先に敵を発見し、先にミサイルを発射し、敵が反撃や回避行動に移るその隙に、全速で交戦空域から離脱する、これが基本戦術になります。

 また、短距離空対空ミサイル、たとえばAIM-9X「サイドワインダー」やロシアのR-73などといった最新のミサイルは、「オフボアサイト交戦能力」を備えています。これはヘルメット搭載照準装置(HMD)を使い、「視線」でロックオンしてミサイルを発射できる能力で、これにより、ほぼ真後ろにいる敵機への攻撃能力さえ可能にしています。

 つまり、かつてのように「敵の背後を取れば有利」という単純な戦術は、現代では必ずしも通用しません。敵のミサイルの射程を超えて接近するということは、すなわち死地に足を踏み入れることに等しく、空中戦においては自殺行為に等しいと言えます。

空で起こりうる“にらみ合い”

 では、映像作品でよく見るような、敵機の背後に張り付き、何十秒も旋回を続けながら機銃の射線に捉える鮮烈な格闘戦は現実には存在しないのでしょうか。

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エアショーにおいて戦闘機どうしの格闘戦を展示するSu-27の4機編隊。こうした距離での格闘戦は、現代ではほとんど姿を消している(関 賢太郎撮影)。

 その答えは、「ないとは言い切れない」です。というのも、ミサイルの射程を活かす戦闘は「開戦していれば」という前提の話です。平時における空の警戒行動、いわゆるスクランブル(緊急発進)では、敵対的行動は控えるのが原則です。

 ミサイルを発射することなど論外であり、接近して目視確認や、場合によっては機関砲による信号射撃が行われることもあります。こうした場面では、敵機と数百mの距離で向き合い、場合によっては旋回戦に突入する可能性もあります。

 ではなぜ、映像作品は今もなお格闘戦にこだわり続けるのでしょうか。

 答えは明快です。それは演出上の必然であり、物語的な要請に他なりません。観客の感情移入を引き出すには、戦闘が「見える距離」で行われる必要があります。遥か彼方の点がレーダーで捕捉され、ミサイルで撃墜されるだけでは、視覚的・情緒的な興奮を得られにくいのです。火花を散らしながら間近で旋回し合う戦闘機の描写には、戦闘そのもの以上に「人間のドラマ」があると言えます。

 たとえば時代劇において、将軍や黄門様が自ら悪党の群れに飛び込み、正義の剣で切り結ぶ様は、現実的ではありませんが、誰もが心のどこかで期待している「様式美」です。三国志の猛将が後方で指揮を執るのではなく、最前線に突撃して敵を蹴散らす姿に観客が熱狂するのも、同じ理屈です。

 物語とは、常に「現実以上」の世界を描こうとする芸術であるのだと考えるならば、戦闘機が繰り広げる格闘戦の描写もまた、そうした非現実の中に息づく「現実以上の表現」の1つと言えるのではないでしょうか。

【ホントに火噴いてる!?】これがロシア航空ショーでの迫力の撃墜演出です(写真)

Writer:

1981年生まれ。航空軍事記者、写真家。航空専門誌などにて活躍中であると同時に世界の航空事情を取材し、自身のウェブサイト「MASDF」(http://www.masdf.com/)でその成果を発表している。著書に『JASDF F-2』など10冊以上。

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コメント

1件のコメント

  1. 実際にやってみないと分からなかったが先日のパキスタンとインドの戦闘でミサイル連携の有用性が証明された。ドッグファイトは無くなった。