日本唯一にして最後の「信号機」を使う本州最北の私鉄 “アナログの装置”を動かすということ
かつて日本全国の鉄道路線に存在した腕木式信号機はほぼ姿を消しました。が、本州最北私鉄の津軽鉄道では、唯一現役で活躍しています。
駅員1人で行う列車交換作業
金木駅は約20年前に駅舎を改築しましたが、以前は側線が多く貨物輸送もにぎやかで、貨車を何両も連ねて入れ換え作業していました。そのため構内も長く、腕木式信号機は南側が本線の築堤上にあります。
北側は約300m離れた学校の脇に位置し、学校は元々津軽森林鉄道の貯木場で、津鉄の引込線もありました。特に北側は木が茂るため、腕木が視認しづらくなったら線路管理所による伐採作業が入ります。
「テコとポイントが連動しているため、下り列車が駅へ入ったら上りのテコを倒します」
津鉄は2004(平成16)年に事故防止のための安全を確保する仕組みとして、本線の発条転轍機(スプリングポイント)と連動するようになり、テコは構造的に片方ずつしか降りない仕組みとなりました。
同時にテコが動かなければ、上下線は同時に青とならず、上下同時進入のリスクが回避できます。信号とポイントが連動するメリットは、ポイントが反位や不密着状態だと信号機が下りない(青にならない)構造だから、赤を現示したままとなって事故防止となります。津軽五所川原駅場内信号機も、金木駅と同様に転轍機と連動しています。
津鉄のダイヤは下りが停車後に上りが到着するパターンであり、津軽五所川原~金木間はタブレット閉塞です。列車が津軽五所川原駅を発車後、金木駅の通票閉塞器へ知らされ、駅舎内で待っていれば、閉塞器の電鈴が響く音も聞こえます。その後、下り場内のテコを倒して青に現示します。列車到着後に運転士からタブレットを受け取り、下り場内のテコを上げて赤に現示。今度は上り場内のテコを下げて青へ現示し、上り列車が進入でき、上り列車が信号機を通過したらテコを上げるのです。金木~津軽中里間はスタフ閉塞のため、上下列車はタブレットとスタフを交換してから発車します。
こうして金木駅の一連の列車交換は、1人の駅員によってこなしており、自動化に慣れた目には新鮮であり、昭和時代をよく知っている者には郷愁の光景を思い起こさせてくれ、この作業は、春夏秋冬たとえ地吹雪の中でも、一切休むことなく行われているのです。
仮に、津鉄がCTC(列車集中制御装置)やATS(自動列車停止装置)を導入したら機械式信号機から自動式に変わり、あるいは腕木式信号機が壊れて予備部品も底をついたらお役御免になるときが来ますが、現在は元気に活躍しています。
腕木信号機の構造はシンプルであるがゆえに感覚的なこともあり、線路管理所での調整作業では新人とベテランが組み、現場でレクチャーをしながら技術を伝承しています。駅では駅員がテコの重さや反応を肌で覚え、丁寧な取り扱いを心がけ、ひとつひとつの作業の積み重ねによって、日本最後の腕木式信号機が保たれています。
最後に、腕木式信号機とテコ作業を観察したい場合は、職員の操作と安全に支障のないよう配慮し、入場券の購入や列車で来ることを心がけましょう。切符も硬券であるから、腕木式信号機の出会い旅の思い出には最高です。
Writer: 吉永陽一(写真作家)
1977年、東京都生まれ。大阪芸術大学写真学科卒業後、建築模型製作会社スタッフを経て空撮会社へ。フリーランスとして空撮のキャリアを積む。10数年前から長年の憧れであった鉄道空撮に取り組み、2011年の初個展「空鉄(そらてつ)」を皮切りに、個展や書籍などで数々の空撮鉄道写真を発表。「空鉄」で注目を集め、鉄道空撮はライフワークとしている。空撮はもとより旅や鉄道などの紀行取材も行い、陸空で活躍。日本写真家協会(JPS)正会員、日本鉄道写真作家協会(JRPS)会員。
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