「そっちの路線は要らない」国に買ってもらえず12年で廃止された「電気鉄道」とは? 今も残る痕跡
長野県にはたった12年で廃止された池田鉄道という小さな鉄道路線がありました。戦前に廃止され、すでに90年近くが経過していますが、当時を偲ばせる数多くの遺構が残っています。どのような鉄道だったのでしょうか。
開業から99年、廃止から87年経っても残るホーム跡に興奮
このような経緯で廃止された池田鉄道ですが、開業から99年・廃止から87年が過ぎた2025年現在でも、年月を考慮すると比較的多くの遺構が残っています。

起点だった安曇追分駅には、池田鉄道開業と同年の1926(大正15)年築の駅舎が今なお健在です。構内には、ホーム跡のようなコンクリート製の遺構を確認できますが、これが池田鉄道のものなのか判明していません。
安曇追分駅を出発すると北東に向かってカーブを進み、高瀬川を渡っていました。2000年頃までは、廃止された池田鉄道の橋脚を使った道路橋(旧高瀬橋)が残っていたとのこと。
橋を渡ると住所が池田町に変わります。そのまま北東に走ると、ひとつめの駅だった十日市駅に至ります。1面1線で駅舎を有していました。ここから終点の北池田駅までは、池田町によって跡地を示すサインが立てられており、散策に役立ちます。
十日市駅を出てゆるい左カーブを抜けると、ここからは県道51号線に沿って北方面に進んでいきます。次の駅は、当時それなりの規模を誇った会染駅。1面2線の島式ホームがあり、駅東側に駅舎がありました。県道から1本西側に入った細い道沿いの民家の敷地内に駅の跡があります。
線路は道沿いに北上します。次の柏木駅は1面1線の棒線駅。現在は池田町の多目的研修センターの敷地内にあり、標柱も確認できますが、駅の痕跡はまったく残っていません。
次から終点までの3駅は、よくぞここまで80年以上も残っていた、と感激するレベルで遺構が残存しています。まず南池田駅。こちらも棒線駅ですが、なんとホームが民家の土台としてしっかりと残されています。標柱ももちろんありますが、無くても駅跡だということが理解できます。
続いては、池田鉄道の遺構における最大のハイライトといえる、信濃池田駅です。駅舎と本社、貨物ホームがあった同駅も一面一線の棒線駅。こちらにはホームが残っているだけでなく、ホーム跡の奥には本社の建物が建っているというのですから驚きです。現在は個人所有の敷地内にあり、以前は建物も何らかの用途で使用されていたようですが、現在はほぼ放置状態に見えます。標柱と池田鉄道の解説板も置かれています。
終点の北池田駅は、2面3線で駅舎が西側ホーム付近にあったようす。現在も西側ホームと、東側ホームの壁の一部を見ることができます。以前は西側ホーム上に駅舎とウワサされた古い建物がありましたが、現在では取り壊され、更地となっています。
たった12年しか走っていなかったため「幻の鉄道」と言われる池田鉄道。跡形もなく廃線跡が消え去っている廃止路線もある中、しかも80年以上経過してなお思った以上に遺構が姿を留めており、ここを電車が往復していたのだ、どんな景色だったのだろう……と、いにしえの時代に想いを馳せることができます。近くに行った際は、ぜひ訪れてみてはいかがでしょう。
Writer: 遠藤イヅル
1971年生まれの自動車・鉄道系イラストレーター/ライター。雑誌、WEB媒体で連載を多く持つ。コピックマーカーで描くアナログイラストを得意とする。クルマは商用車や実用車、鉄道ではナローゲージや貨物、通勤電車、路面電車、地方私鉄などを好む。
コメント