わずか4年で敗北宣言!「礼をつくすクルマ」として日本に進出 “良くできた外国車” だったのにナゼ?
1997年に日本へ進出したGMのサターンブランドは、値引きなしのワンプライス販売とホスピタリティ溢れるサービスを売りにしていました。しかし、話題になったものの4年で撤退。なぜサターンは日本で受け入れられなかったのでしょうか。
出来は悪くなかったが、それだけでは売れず……
筆者(山崎 龍:乗り物系ライター)は、新車販売されていた当時、「SL2」に試乗した経験があります。そのときの記憶を思い出して書くと、内外装のクオリティは同時期に輸入されたトヨタ「キャバリエ」やクライスラー「ネオン」と比べて明らかに上回っており、アメリカ車らしくシートの作りもしっかりしていて長距離ドライブでも疲労感を感じることはありませんでした。

また、ボディ剛性も高く、足回りは路面の凹凸をよく捉え、走行時も安定していて乗り心地も良好でした。エンジンは若干ノイジーだったものの、低速トルクに余裕があることから加速は鋭く、動力性能は必要にして十分。100km/h巡航時のエンジン回転数は2500rpmほどだったので、燃費は正確に測定しなかったものの、高速巡航時はカタログ値の11.7km/Lを上回ることが期待できるほどでした。
個人のイメージとしては、「なかなか良くできたクルマ」といったものでしたが、好みの分かれるスタイリング以外に突出した個性がなく、同じような価格帯の国産車がひしめき合う日本市場で、あえてこのクルマを選ぶ動機は薄いのではないかとの心象を持ちました。
結果的に筆者の懸念は的中し、鳴り物入りで上陸したサターンでしたが、販売低迷によりわずか4年で日本市場から撤退してしまいます。これは商品として魅力に乏しかっただけではなく、サターンの特色のひとつであったワンプライス販売は当時の日本では馴染みが薄く、顧客目線でのきめ細かなサービスはまさに日本の販売店のお家芸でもあったことから、日本市場ではたいしたアピールポイントにならなかったというのも、苦戦の原因と言えそうです。
日米ではクルマに求められる要件が異なるため、いくら製品の性能や品質が水準に達しており、サービス体制が整っていたとしても、アメリカ市場での成功体験をそっくりそのまま日本に持ち込むだけではうまくいきません。
そのような事実を、身をもって示したのがサターンだったと言えるでしょう。
Writer: 山崎 龍(乗り物系ライター)
「自動車やクルマを中心にした乗り物系ライター。愛車は1967年型アルファロメオ1300GTジュニア、2010年型フィアット500PINK!、モト・グッツィV11スポーツ、ヤマハ・グランドマジェスティ250、スズキGN125H、ホンダ・スーパーカブ110「天気の子」。著書は「萌えだらけの車選び」「最強! 連合艦隊オールスターズ」「『世界の銃』完全読本」ほか」に
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