世界の「超デカい飛行艇」たち 驚異のエンジン10発+二重反転プロペラ駆動まで ホントに飛んだの?
世界各国で相次いで民間航空会社が設立された20世紀初頭、長距離を飛ぶ飛行機には水上機や飛行艇が多く用いられており、旅客輸送も外国便は飛行艇が主体でした。それゆえ巨大飛行艇が多数作られました。
世界最大の飛行艇はエアバスA380に匹敵するサイズ
第1位は、アメリカのヒューズ・エアクラフトが開発したH-4「ハーキュリーズ」です。出力3000馬力のエンジンを8基搭載し、機体サイズは全長66.65m、全幅97.51m、全高24.18mと、世界最大の旅客機であるエアバスA380の全長72.72m、全幅79.75m、全高24.09mに迫る巨大さです。

H-4の開発は第2次世界大戦中に始まりました。大戦初頭にドイツ海軍の潜水艦、いわゆるUボートによる輸送船攻撃に悩まされたアメリカにおいて、超大型飛行艇による物資の航空輸送が検討されます。
さまざまなメーカーに打診し断られるなか、新興メーカーだったヒューズ・エアクラフトが手を挙げました。同社は、アメリカの実業家ハワード・ヒューズが1932年に設立したオーナー企業で、このような大型機を手掛けるのは初めてでした。
H-4の開発は1942(昭和17)年半ばから始まりましたが、国から貴重なアルミニウムを使わず木製で作るよう条件が付けられたため開発は難航し、大戦終結までに完成しませんでした。
ヒューズは予算オーバーした分は自己資金で補填するほどで、H-4の開発続行を指示、大戦終結から2年後の1947(昭和22)年11月2日に初飛行しました。この時、ヒューズ自ら操縦桿を握り、滑水テストの末、高度25mを1マイル(約1.6km)ほど飛んだのみで終わりました。
しかしヒューズはH-4に愛着があったのか、その後も修理しつつ機体を維持し続けました。その甲斐あってか彼の死後、博物館で保存されることになり、2025年現在もオレゴン州の航空博物館で展示されています。
ここにあげた3機種は、すべて試作で終わった機体です。量産機で最大のものは、フランスのラテコエール631です。同機は6発エンジン機で、試作機のほかに10機製造され、1955(昭和30)年9月10まで旅客輸送を担っていました。
Writer: 柘植優介(乗りものライター)
子供のころから乗り物全般が好きで、車やバイクはもちろんのこと、鉄道や船、飛行機、はたまたロケットにいたるまですべてを愛す。とうぜんミリタリーも大好き。一時は自転車やランニングシューズにもはまっていた。
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