世紀の失敗作だ!「卑猥なクルマ」「レモンをかじった顔」とまで 自動車大手が “やっちまった” 案件とは
誕生から70年近くが経過した現在でも、フォード「エドセル」の記録的な販売不振はマーケティングの失敗例として教科書に載るほどです。綿密な市場調査と多額の宣伝広告費を費やしたにも関わらず、なぜ失敗したのでしょうか。
過度なマーケティング依存が敗因
アメリカ人の多くは欧州流のファミリーフェイスに馴染みがなく、このクルマのスタイリングを理解できませんでした。結果、エドセルはその特徴的な外観について「レモンを齧ったオールズモビル」「顔に女性器をつけた卑猥なクルマ」とまで揶揄されてしまいました。

とうぜん、販売は低迷。冷徹なマクナマラは販売データに基づき、すぐさまエドセルブランドの廃止を決定したとか。このような惨憺たる結果に、発売日翌日にオンエアされた『エドセルショー』が、優れたTV番組に送られるエミー賞の「最優秀ミュージカルショー」に輝いたものの、フォード関係者には全然響かず、慰めにすらなりませんでした。
エドセルの失敗は、さまざまな要因が複合的に絡んだ末と言われています。たとえば、奇抜なスタイリングにも関わらずファミリー内の差別化が充分にされていなかったこと、裏目に出たティーザー・キャンペーン、上級のマーキュリー部門とバッティングする販売価格、デビュー時期が景気の後退局面であったにも関わらずボディの大きな豪華絢爛なクルマを出してしまったことなどが挙げられるでしょう。
しかし、もっとも大きな敗因はマーケティングを過信するあまり、間違った時期に間違った新車を出してしまったことなのではないでしょうか。そして、その責任の一端はとうぜん責任者のマクナマラにあります。
彼はのちにケネディ政権の国防長官に抜擢され、同じ失敗をベトナム戦争で繰り返します。さらに海空軍の機体共通化を目論み、新型戦闘機F-111「アードバーグ」の開発計画を推進しますが、計画から海軍が離脱したことで当初の目論見は大きく外れました。結果、マクナマラのフォード時代の失敗になぞらえて、この戦闘爆撃機には「フライング・エドセル」とのありがたくないニックネームがつけられてしまったほどです。
エドセル本人は1943年に亡くなり、その名を受け継いだクルマは1960年にモデルが廃止され、F-111は計画が失敗したわけで、これらを鑑みるとエドセルは2度ならぬ3度も死んだと形容できるかもしれません。
Writer: 山崎 龍(乗り物系ライター)
「自動車やクルマを中心にした乗り物系ライター。愛車は1967年型アルファロメオ1300GTジュニア、2010年型フィアット500PINK!、モト・グッツィV11スポーツ、ヤマハ・グランドマジェスティ250、スズキGN125H、ホンダ・スーパーカブ110「天気の子」。著書は「萌えだらけの車選び」「最強! 連合艦隊オールスターズ」「『世界の銃』完全読本」ほか」に
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