ドイツ自動車大手も認めた! 世界的「ホットハッチ」を20年ぶりに復活させた日本人

傑作コンパクトカーの「ミニ」の高性能バージョンとして誕生した「ミニ・クーパー」。じつは1970年代から80年代にかけて消滅していたのをご存じでしょうか。その名門モデルを復活させたのはひとりの日本人でした。

活躍するも1971年に生産を終了した「ミニ・クーパー」

「ミニ」のスポーツモデルとして誕生した「ミニ・クーパー」は、高性能ながら手頃な価格ということもあって、アマチュアレーサーの間で人気を博します。そして、製造元のBMCは1964年にワークス体制を整えて、冬のアルプス山脈の険しく曲がりくねった峠道で競争する「ラリー・モンテカルロ」に参戦しました。

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モーリス「ミニクーパーS」。F1ドライバーのグラハム・ヒルが前オーナーという来歴を持つ車両

 その結果、軽量小型なボディにパワフルなエンジンを組み合わせた「ミニ・クーパーS」は格上のライバルを抑えて優勝。続く1966年も大量リードを持って勝利したのです。ちなみに、1966年は「ミニ・クーパーS」を含む「ミニ」勢がトップ3を独占し、完全勝利となるはずでしたが、ヘッドランプの規定違反でまさかの失格。しかし、その雪辱を晴らすかのように、1967年には見事3度目の優勝を飾っています。

 こうして世界的な名声を得た「ミニ・クーパー」でしたが、BMCは1台クルマが売れることに2ポンド(現在の貨幣価値で邦貨換算すると1万8000円)のロイヤリティーをクーパー氏に支払うことを嫌い、販売終了に踏み切ります。結果、1971年に最後の「ミニ・クーパーS」がラインオフするのと同時に「ミニ・クーパー」は長い眠りにつきました。

 ところが、それから16年後、栄光ある「ミニ・クーパー」が久方ぶりに復活を果たします。それを成し遂げたのはひとりの日本人でした。彼の名は丸山和夫氏。東京・墨田区の「ミニ」専門店「ミニマルヤマ」の代表を務める人物です。

 1969年の渡欧で「ミニ」にすっかり魅了された丸山氏は、1973年に「ミニ」専門店の「ミニマルヤマ」を開業。以来、日本における「ミニ」のオーソリティとして、国内における「ミニ」の知名度向上と人気の盛り上げに半生を捧げました。

【画像】これが「ミニ・クーパー」復活に尽力した日本人です

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