奇跡の現存!? 幻の「めっちゃ速い“車掌車”」とは? 製造2両のみ 露と消えた「高速貨物列車」構想の“走る執務室”
二軸の車掌車で100km/h走行を目指して開発された試作車掌車ヨ9000形。しかし実際は期待通りの性能を発揮できず、わずか2両で製造終了となりました。その1両が奇跡的に九州に現存しています。
貨物列車の最後尾に、当たり前に連結されていた「車掌車」
かつて貨物列車の最後尾には、一部例外を除き、車掌が乗務する黒い小さな貨車「車掌車」が連結されていました。しかし貨物列車の削減、業務の合理化、設備の整備が進んだことなどにより、国鉄末期の1985(昭和60)年3月ダイヤ改正で貨物列車への車掌車連結は廃止され、基本的に機関士1人のワンマン運転となっています。

大量にお役御免となった車掌車は、ローカル線の駅舎に転用されたり、民間に払い下げられたりしたほか、保存車も全国で見られます。そうした保存車のなかでも極めつきに珍しい存在が、福岡県赤村の「源じいの森」で保存されている「ヨ9000形」。たった2両だけ作られた試作車のうちの1両です。
同車は、国鉄末期に貨物列車が衰退する以前に、国鉄が貨物列車のさらなる高速化を目指していた歴史の生き証人ともいえます。
貨物列車車掌の「走る執務室」の歴史
日本における車掌車の歴史は古く、国鉄の前身・鉄道省時代の1926(大正15)年に登場した「ヨ1型」「ヨ1500形」に端を発します。しかしこれらは木造の小さな二軸貨車から改造された車両だったため、1937(昭和12)年から100両が製造された「ヨ2000形」は、車体端部にデッキ、車体サイドに4つの窓を持つスチール製車体を新製して外観を統一しました。
戦後、車掌車不足を受けて有蓋車を改造して作られた「ヨ2500形」は粗末な姿に戻りましたが、1950(昭和25)年には、戦前の車掌車ヨ2000形の設計を復活させた「ヨ3500形」が登場。新製と無蓋車改造車を合わせ1300両以上が作られました。
その後、1959(昭和34)年に汐留?梅田間で運転を開始した高速貨物列車「たから号」用に、ヨ3500形を改造して最高速度を85km/hに引き上げた「ヨ5000形」が誕生します。従来の貨車は最高速度75km/hが上限でしたが、ヨ5000形では車軸を支持する軸箱を二段リンク化して対応しました。ヨ5000形は新製された以外にもヨ3500形をベースに大量に改造編入が行われ、最終的には1000両以上が活躍しました。
続いて1962(昭和37)年に登場したのが「ヨ6000形」です。基本的にはヨ2000形以来のスタイルを継承していますが、車体長が短くなって側窓も3個に減少。約900両が新製されました。
このように、車掌車は戦前のスタイルを基本としながら少しずつ変化し、それぞれ大量に作られたのでした。
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