幸運艦? いいえ“ホワイト職場”だったからです――不死身の駆逐艦「雪風」 偶然じゃない“筋の通った幸運”

陽炎型駆逐艦19隻のうち、艦齢31年という長寿記録を残したのが8番艦「雪風」です。主な海戦に参加しながらも生還し「不死身」といわれましたが、そこには艦の幸運を支えた要素がありました。

「雪風」が生き延びた要素は「人」だった?

 雪風はすぐに戦闘態勢に入る初動の早さから、「超機敏艦」ともいわれていました。1943(昭和18)年11月2日から3日にかけ、南太平洋の現パプアニューギニア島嶼(とうしょ)部にあったラバウル泊地が空襲を受けた際、在泊していた日本艦艇の中で一番早く機関を動かして湾外に脱出した駆逐艦「時雨」の乗組員は、空襲を予想して最初から湾外に停泊していた雪風を見て驚いたというエピソードが知られます。「戦場のカン」も冴えていたようです。

 雪風と同じ第二水雷戦隊に所属していた駆逐艦「冬月」の乗組員は、砲術指導で「雪風」に赴いた際、艦内や部署が清潔であることに驚きます。今で言う「4S」(整理・整頓・清掃・清潔)が行き届き、空気感(職場風土)もはつらつとしたものだったという証言が多く残っています。今で言う「昭和のホワイト職場」だったのかもしれません。

 その職場風土から訓練成績は良好で、「実戦でも不死身」などと高評価を得てさらに奮起し、「ポジティブ思考がさらに成果を上げる」という好循環で乗組員の練度が向上します。また、経験を検証し行動に活かせる「カンの良さ」が、結果として艦としてのパフォーマンスを向上させていったようです。

 元海軍少尉で作家、評論家の阿川弘之は「歴代艦長の調査や取材を通じ、雪風は訓練がよく行き届いた艦であり、幸運艦と言ってもキューピットの気まぐれによるものというよりは、自ら助くるものを助くといった筋の通ったものの様だ」と「雪風」を評しました。

 日本海軍駆逐艦技術の集大成であった陽炎型というハードウェアと、乗組員の技量というソフトウェアが、良好な職場風土で最高の形で融合したのが雪風の幸運という結果だったといわれます。つまり、雪風が生き延びたのはスペックを超えた「人の要素」に起因したということです。

 他の陽炎型たちの犠牲があって、なぜ雪風だけが生き残ったのかを問う意味は際立ちます。本当に雪風だけが人の要素に恵まれたのか興味は尽きません。

「幸運艦」というのは、戦後になっていわれるようになったフレーズです。戦争渦中の当事者は、自艦が幸運か不運かなど知る由もありません。戦後になって他艦の運命を知って、初めて自分が幸運だったのだと分かるのです。

 ちなみに陽炎型で雪風の次に長生きしたのは「磯風」の約4年4か月です。この艦も開戦時から生き延びた幸運艦といえますが、戦艦大和の沖縄水上特攻作戦に雪風などともに出撃し、坊ノ岬沖海戦で大和と運命を共にしました。米軍機の攻撃で大破航行不能となり、最後はまた生き残った雪風の砲撃によって処分されており、運命の残酷さを感じざるを得ません。

【戦場のホワイト職場】整備が行き届いた駆逐艦「雪風」(写真)

Writer:

1975(昭和50)年に創刊した、50年以上の実績を誇る老舗軍事雑誌(http://www.argo-ec.com/)。戦車雑誌として各種戦闘車両の写真・情報ストックを所有し様々な報道機関への提供も行っている。また陸にこだわらず陸海空のあらゆるミリタリー系の資料提供、監修も行っており、玩具やTVアニメ、ゲームなど幅広い分野で実績あり。

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