80年前に飛んだ日本初のジェット戦闘機「橘花」形は似てても独機のコピーじゃなかった!その切実な理由とは
日本の敗戦が目前に迫った1945年8月7日、日本の航空史上において重要な意味を持つ機体が初飛行を果たしました。海軍が開発した初めての純国産のジェット戦闘機「橘花(きっか)」です。
ドイツ製ジェット機と似て非なるものになってしまった経緯
日本の敗戦が目前に迫った1945年8月7日、日本の航空史上において重要な意味を持つ機体が初飛行を果たしました。海軍が開発した初めての純国産のジェット戦闘機「橘花(きっか)」です。

橘花の外観は、当時の同盟国であるドイツのメッサーシュミット社が開発したジェット戦闘機Me262に似ています。実際、当初は同機を参考にして開発が進められましたが、完全なコピーというわけではなく、実際には多くの部分で独自の設計がなされていました。というのも、Me262に関する情報、特にエンジンに関する詳細な資料が日本には届かなかったためです。
Me262の資料は、哨戒艇のディーゼルエンジン技術と引き換えに、日本に提供されることになっていました。しかし当時、日独間の航路はどこも米英をはじめとする連合軍の制海権下にあり、物資の輸送は潜水艦による極秘裏の手段しか残されていませんでした。
輸送に使われた潜水艦には、Me262の設計資料のほか、搭載予定のジェットエンジンの設計図なども積まれていました。しかし、それらは日本に到達することなく、潜水艦が撃沈されたため失われてしまいました。一部の文献資料や写真のみが、沈没前にシンガポールで陸揚げされたことで辛うじて残されただけでした。
このように、ほとんどの資料が失われた結果、「橘花」の開発は、ほぼ独自の手法によるものとなりました。特に深刻だったのはエンジン開発で、本来Me262に搭載されていたユンカース製「ユモ004」のデータはほとんど入手できず、再現は不可能でした。
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