高性能すぎた戦略爆撃機B-29「アメリカ自身の脅威」まで生んじゃった… 敵の敵にまで波及した“歴史の皮肉”とは
アメリカが第2次世界大戦中に実用化したB-29は、高性能ゆえに戦後さまざまな形で後世まで影響を与えました。それはアメリカ国内にとどまらず、海を越えて冷戦中のライバル国にまで、さらにその隣国にまで伝播していきました。
巡り巡って中国にまで流れたB-29の技術
一方で、ソ連は1949(昭和24)年8月29日に、原子爆弾を用いた初の核実験に成功しています。Tu-4は原型のB-29同様、高度1万m以上を飛行し、核爆弾を運搬できるため、つまりアメリカの「核の独占」を打ち砕く存在となったのです。

しかも1950年代前半には、中国(中華人民共和国)に対してソ連がTu-4を約10機供与しています。そして1964(昭和39)年10月16日には中国も核実験に成功し、Tu-4は中国においても、核爆弾の運搬手段となります。
そのころになると中国は、スターリン亡きあとのソ連と距離を置いており、米ソのどちらにも与さない第三極として存在していたため、米ソ両方に対しての牽制となりました。
アメリカはB-29を開発したことで、対日戦を有利に進めることができましたが、同機の技術がソ連に渡ったことで、結果として自国に向く「核の矢」ができあがってしまったといえるでしょう。
またソ連も、スターリンの好意から中国にTu-4を引き渡したことで、自国に核攻撃可能な手段を中国に自らお膳立てした形となりました。
こうして見てみると、B-29は高性能であるがゆえに他国が欲しがり、結果、巡り巡ってアメリカに対する脅威を生み出す素地となってしまったともいえます。
まさに歴史の皮肉を感じさせる流れをB-29は作ったといえるでしょう。
Writer: 柘植優介(乗りものライター)
子供のころから乗り物全般が好きで、車やバイクはもちろんのこと、鉄道や船、飛行機、はたまたロケットにいたるまですべてを愛す。とうぜんミリタリーも大好き。一時は自転車やランニングシューズにもはまっていた。
コメント