旧海軍の本格的な激レア4発爆撃機「連山」の“風防ガラス”を実見 場所は“群馬”…なぜ?

第二次世界大戦末期に旧日本海軍が開発した攻撃機「連山」の風防ガラスとみられる部品が、群馬県邑楽(おうら)町の民家から発見されました。展示される予定です。

少数生産された大型攻撃機(爆撃機)

 2024年3月、第二次世界大戦末期に旧日本海軍が開発した攻撃機「連山」の風防ガラスとみられる部品が、群馬県邑楽(おうら)町の民家から発見されました。このガラスは現在、大泉町役場に寄贈され、とある場所で一般公開に向けて保管されています。

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アメリカ軍に接収されたあとの「連山」(画像:サンディエゴ航空宇宙博物館)

 この機体と町にまつわる歴史について、大泉町教育委員会の坂本さんにお話を伺いました。

 風防ガラスは、寄贈者の親族が所持していたもので、専門家による確認の結果、「連山」の部品であることが明らかになったそうです。ガラスは7枚1組で10組存在していたようですが、そのうちの1組が町役場に寄贈されました。

 実物を見ると、80年前のものとは思えないほどの光沢が残っており、透明度も高く、保存状態が非常に良好であることがわかります。坂本さんは「形から判断して、おおよその位置は分かっています」と話します。過去の設計図からおおまかな取り付け位置を割り出したとのことで、特に操縦席正面のガラスは厚さ約10mmあり、防弾性能が考慮されていたのか、持たせてもらいましたがなかなかの重量がありました。

 「連山」は「攻撃機」と分類されていますが、これは海軍独特の呼称によるもので、実際には陸軍や他国でいう爆撃機に相当します。

 しかも、「連山」は、似たようなコンセプトで試作機が要求性能に達しなかった「深山」や、計画のみで終わった「富岳」とは異なり、高速・長距離飛行や大量の爆弾搭載能力を備えるという想定の元で開発され、旧日本軍が計画した4発エンジン以上の爆撃機としては実用に近づいた唯一の存在といえます。

 ではなぜ、「連山」の部品が大泉町に寄贈されたのか――その背景には、町内にあるパナソニック群馬工場の存在が関係しています。

 現在、大泉町にはパナソニック群馬工場とスバル大泉工場という大企業の生産拠点がありますが、この2つの工場は、もともと「連山」を開発した中島飛行機の施設を前身としています。特にパナソニック群馬工場は、かつて「小泉製作所」と呼ばれ、海軍機の製造を行っていました。

 坂本さんによると、小泉製作所が開設されたのは1940(昭和15)年。当時、この地域は「大川村」と呼ばれ、桑畑や養蚕業を営む家が点在していたそうです。「そんな場所に、突然大規模な工場ができました。この工場の建設が、現在の大泉町の原型を形作るきっかけになったのです」と語ります。

【画像】当時のまま!? これが「連山」の風防ガラスです

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