チョー優秀な「B-29」もし開発失敗したら… 米国が用意した「リスクヘッジ爆撃機」その顛末

アメリカが作り出したB-29は、優秀な性能から第2次世界大戦の後も朝鮮戦争に参加するなど現役で使用されました。しかし、その陰に隠れる形で日本の降伏とともに退役した4発エンジンの戦略爆撃機が存在しました。

本命B-29のバックアップとして誕生

 新型爆撃機の本命はボーイング案でしたが、アメリカ陸軍はボーイング案のバックアップとして、コンソリデーテッド案も進めることを決めます。こうしてボーイングの試作機XB-29とともに、コンソリーデーテッドの試作機XB-32も開発進行とともに量産ラインの構築が始まりました。

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コンソリデーテッドが開発したB-32「ドミネーター」。B-29とは異なり僅か118機しか造られなかった(画像:アメリカ空軍)。

 1941(昭和16)年12月8日には、日本がハワイの真珠湾を攻撃したことで日米も第2次世界大戦に参戦します。XB-29とXB-32の両機種とも開発は難航しますが、XB-32はひと足早く1942(昭和17)年9月7日に初飛行しました。

 XB-29の初飛行は2週間ほど遅れた9月21日だったので、この時点ではXB-32の方が開発が先行していたことになります。しかし、与圧装置の不具合で、初飛行後にもたつくと、そのあいだに本命のXB-29が開発を完了させました。また大量生産体制も1944(昭和19)年3月下旬以降、ボーイングで本格的に動き出し、試作機を表す「X」が外されてB-29として同年5月8日より実運用に入りました。

 一方のコンソリデーテッドのXB-32ですが、B-29が本格運用をスタートした時点で、その必要性が薄らぎ始めました。これを受け、アメリカ陸軍はXB-32の位置づけをB-29のバックアップから、B-17およびB-24といった大型爆撃機の後継に据えることとし、XB-32は与圧装置なしで量産することが決まります。

 コンソリデーテッドでは1944(昭和19)年9月に量産初号機が完成し、「B-32」として採用されましたが、この時点でB-29と比べて約半年も遅れており、当初練習機タイプ含めて1800機もあった生産計画は、最終的に試作機含めて118機にまで減らされました。

【補欠とは思えない!】製造途中のB-32が整然と並ぶ4発重爆の生産ライン(写真)

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