チョー優秀な「B-29」もし開発失敗したら… 米国が用意した「リスクヘッジ爆撃機」その顛末
アメリカが作り出したB-29は、優秀な性能から第2次世界大戦の後も朝鮮戦争に参加するなど現役で使用されました。しかし、その陰に隠れる形で日本の降伏とともに退役した4発エンジンの戦略爆撃機が存在しました。
運用は半年あまりで終了 性能も生産数もB-29とは段違い
こうして、B-32の運用開始は1945(昭和20)年1月27日にずれ込みました。

このころになるとドイツは劣勢に追い込まれており、米英ソを始めとした連合国の勝利は確実なものとなりつつあったことから、ヨーロッパ戦線でB-32は必要なくなっていました。そのため、太平洋戦線へ投入されたものの、同年8月15日に日本が降伏したことで、短期間で爆撃機としての運用は終了し、偵察機として一時用いられたあと、8月30日には早々と運用終了になりました。
本命のB-29が開発に成功し、性能も十分発揮すれば、バックアップがいらなくなるのは当然です。ちなみにB-29は生産数だけでなく運用期間もB-32と比べて圧倒的に長く、朝鮮戦争にも参加し、1960(昭和35)年6月まで使用されました。
なおB-32は、B-29と比べると全長と全幅でひと回り小さく、機体重量で5tほど軽量でした。性能を比較すると、速度と爆弾搭載量はほぼ同格でしたが、航続距離は劣っていました。また与圧装置がないため、上昇限度は9360mに抑えられており、1万2000m以上の高度で飛行することが可能なB-29とは比較になりませんでした。
しかも、機体各部の銃座は、計画時はB-29と同じ遠隔操作式のリモコン銃座の搭載が予定されていましたが、量産型では既存のB-17やB-24爆撃機と同じ有人の動力銃座に改められており、リモコン銃座で射撃管制装置も搭載していたB-29と比べて見劣りするものでした。
こうして比べてみると、結局、B-32は総合性能で、やはりB-29を超える存在にはなり得なかったといえるのかもしれません。
Writer: 柘植優介(乗りものライター)
子供のころから乗り物全般が好きで、車やバイクはもちろんのこと、鉄道や船、飛行機、はたまたロケットにいたるまですべてを愛す。とうぜんミリタリーも大好き。一時は自転車やランニングシューズにもはまっていた。
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