ちょっとの区間が何十年も開通しない!なぜ? 東京「開かずの道路」の深刻な事情 しびれを切らした地域も
東京23区内には、立ち退き交渉の難航などで長らく未開通のままの道路が複数存在します。事業化から約40年が経過してもなお完成の見通しが立たない道路も。事態が動いた場所もあれば、住民がしびれを切らした場所もあります。
19年かけて一部のみ開通した道路
東京都練馬区内で2025年2月、一部区間が開通した「放射第7号線」について、”開通していない区間”が大きな注目を集めました。

この路線は東京都心から関越道の練馬IC、外環道の大泉ICなどへ通じる「目白通り」の延伸部にあたり、未開通区間およそ2kmをつなげる事業が2006年から進められています。開通したのはこのうち、西側の約1kmです。
未開通のまま残された東側部分には、地元の寺が所有する墓地が横たわったまま。都とその寺との交渉が難航し、用地買収と墓地移転が見通せないことから、今回「西側のみ」の暫定開通となったのです。
ここでは「2006年度の事業化から19年経ってようやく一部だけが開通」という”時間の長さ”が議論を呼びましたが、じつはそれ以上に時間がかかっても開通にこぎ着けることができない道路は、23区内でほかにも存在します。
事業化から40年経っても未開通道路
その例が、北区を走る「補助第181号線」の一部区間です。
補助第181号線は北区西ヶ原1丁目~滝野川1丁目を結び、「本郷通り」と「白山通り」の間で、ふたつの通りに並行するように走る1.53kmの道路です。都市計画決定は1964年でしたが、主要部分についてはすでに既存道路があることが、当時の空中写真から見てとれます。
ただ同道路の北端となる北区滝野川1丁目の「滝野川一丁目」交差点から「明治通り」までの79.5mは、都市計画決定の時点では宅地となっていました。この区間が事業化されたのは1988年で、事業期間は1992年3月までとされました。
ところがこの80m弱の区間は、それから37年経った現在でも、開通していません。当該区間の北側、南側にある住宅は事業開始後早々に立ち退き、更地となりましたが、中央部分にある住宅は残ったままの状態で、事業期間がたびたび延長。ようやく最後の住宅が立ち退き、ほぼ更地になったのは2020年代に入ってからです。
最終更新された事業期間は2027年3月までで、事業化からほぼ40年が経過しての開通に、ようやく目処が立ったと言えるでしょう。
関越道外環道大泉を出て西へ、北園交差点。
そのとおり、歴史的名所ですわ。
あの住宅密集地に地上道路通す計画があったのか!
東名接続の南行地下道も難航してますけど。
ナンチャッテw