各駅停車で385km、8時間21分「日本一長い鈍行」 ひとつはもう乗れない可能性
運行時間が日本一長い普通列車は、もう乗れない可能性がある?
運行時間がもっとも長い定期普通列車は、根室本線の滝川駅(北海道滝川市)から釧路駅(同・釧路市)まで走る「2427D列車」です。
現在のダイヤは、滝川駅を午前9時40分に出発し、富良野駅や新得駅を経由。帯広駅で札幌発釧路行きの特急「スーパーおおぞら5号」に抜かされたのち、さらに東へ進み、終点の釧路駅には18時01分に到着します。移動距離308.4km、所要時間8時間21分、乗り通した場合の運賃は5720円です。
列車の側面には通常、その行先などが掲示されますが、この2427Dの場合、行先である「釧路」の下に「日本一運行時間の長~~い定期普通列車」と書かれた特別仕様の表示が行われています。
しかしこの列車、現在は所定のダイヤどおりに運転されていません。今年8月以降に相次いだ台風被害により、2427Dが通る根室本線の東鹿越~新得間41.5kmが不通になっているからです。
JR北海道はその区間の復旧工事について「着手は早くとも来春以降」としていますが、一方で、不通区間を含む富良野~新得間81.7kmは廃止する方針との報道もあります。そのためもしかすると、この「日本一運行時間の長~~い定期普通列車2427D」、もう乗ることはできないかもしれません。
【了】
飯田線や上野東京ライン(熱海-黒磯間)も長い!と思っていましたが、上には上がありましたね。
でも、停車駅数では飯田線が一番(上り544M、上諏訪-豊橋間96駅)かと思います。
少し前は、最長「時間」列車、滝川→釧路の2429Dもありましたねぇ‼️
普通で長距離長時間乗車。良いですよね。
なかなか難しい設定だとは思いますし、こういう列車が今後増えるとは考えにくいですが
せめて現存する列車だけでも時間つくって乗り通しておきたいです。
長距離普通と言えば、子供の頃上野駅で到着夜行の写真撮りに行った帰りに松戸まで乗車した客車列車が青森行き鈍行でしたけれど、今臨時ででも蘇ることがあったら最優先で乗りに行きたい。
今年の改正でも、369Mが岡山➡下関の運転のままでありますように。
まあ、入庫を兼ねた運用らしいから大丈夫だとは思いますが。
もう45年も前、高校生だった私は友達と二人で大阪発西鹿児島(現鹿児島中央駅)行きの鈍行に乗った。
夜中の12時頃に出発して鹿児島に着くのは翌日の夕方だった。乗車時間は16時間ほどだったと記憶している。
更に東北本線にも上野発一関行きの鈍行列車があった。
尾の頃は時代がゆっくり流れていた気がする。
古きよき時代だったのだと改めて思う。
大垣快速は以前は夜間は乗降客が居ないので急行停車駅位しか停まらなかった。
普通列車だが「各駅停車」では無かった。
阪神間の西宮に大多数の快速は止まらず、岡山行き等の一部だけが停まった。
複々線の内側線を走るのは近郊電車で戦前は急行と呼んでた物が快速に名称が変わったが、客車列車だった物は西宮に停まったのだと思う。
だけど戦前は神埼だった尼崎駅は福知山線の普通列車が停まるだけで快速は停まらなかった。
関係なくね?
北海道の鈍行列車、懐かしいですね。小樽ー釧路の夜行の普通列車「からまつ号」よく乗りました。確かB寝台が1両付いてたかな。道央を回った後この列車で道東へ、そしてまた上りの夜行で札幌方面へと、、、北海道のローカル線名忘れましたが、オホーツク海側日本海側、帯広ー然別湖(?)、様似へいく線も良かったですね!50年前の話です、、、
残念ながら糸崎駅で運用が完全に切り替わる為に、岡山県から広島県乃至以西の運用は無くなりましたね。
帰省時は重宝していましたが、今は乗換ありきなのですが。
また根室本線も新得以西が通行止めになっている以上は、また変わってきますね。
広島に227系が導入された影響で、糸崎または三原で運用が分離した。これによって、岡山県から山口県へ1本で行ける列車は廃止になった。
ダイヤを引けばどんな長距離列車でも設定は可能。
ただ、運用上有効ではないので運転されないだけ。
青森発、奥羽、東北、東海道、山陽、鹿児島本線経由で鹿児島中央行きの列車も機関車を交換しながら運転するか、電車の場合、交直両用列車を使えば運転できないわけではない。
過去には大阪発日本海縦貫青森行き、南風崎発、大村、長崎、鹿児島、山陽、東海道本線経由東京行き、西鹿児島発、鹿児島、山陽、東海道本線経由京都行きなどの普通列車があった。
今の一番長い距離を走る列車がなくなったら、二番手の列車が一番になるから常に一番長い距離を走る列車に乗ることは可能だ。
ただ、1000キロとか600キロといった長距離を走る普通列車に乗ることはできない。
ついに富良野~新得が地元との存廃協議に動いたね
事実上復活の目は絶たれてしまった
長距離の各駅停車、昔はたくさんありましたね。昭和の時代には東京/大垣は昼間もあったし、熱海/米原も乗った記憶があります。昭和のもっと前の時代には、東京/下関ってのがあって、各車両ごとにスリが潜んでいたとか。これは死んだ父親が通勤で乗っていたとか。そういう列車には鳩を籠で運ぶ新聞記者も乗っていました。
自分が高校生だった昭和42年、東京から大阪まで約650kmの鈍行列車(電車)が有った。
学校で舎監と大喧嘩をして友人と二人で家出(細かく言うと寮、学校出)をして金を節約するため、鈍行列車に乗って。
もうそんな列車は無くなっていたんだ。
飯田線の乗り通しも7時間弱というなかなかのものですね。