6年前まで「石炭列車」が走っていた!? 廃線跡に“呼び戻された踏切”も 石炭の街のエモすぎる風景

炭鉱の街として知られる北海道釧路市には、採掘した石炭を運ぶ鉄道がありました。太平洋石炭販売輸送(現・新太平洋商事)臨港線です。旅客輸送を行っていた歴史もあり、地元の人々に愛された路線でした。

釧路の街を94年間走り続けた鉄道

 北海道釧路市は、炭鉱の街として発展した歴史があり、鉄道による石炭輸送も行われていました。その一つが、海沿いを行く太平洋石炭販売輸送臨港線です。この臨港線は2019(平成31)年3月30日をもって運行を終了し、同年6月末に廃止されましたが、その名残を今も見ることができます。

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知人駅跡に残る2本の高架線路。高架上に編成を据え付けると遠隔操作で貨車の底から石炭を落としていた(和田 稔撮影)

 廃止直前の太平洋石炭販売輸送臨港線は、釧路市の春採駅(はるとり)と知人(しれと)駅を結ぶ4.0kmの路線でした。石炭生産会社の釧路コールマインが採掘した石炭を輸送するための鉄道です。選炭場がある春採駅で貨車に積み込み、貯炭場がある知人駅へピストン輸送をしていました。長く連なる独特の貨車や、ディーゼル機関車を編成の前後に連結するプッシュプルでの運行などにより、愛好家の間では知られた存在でした。

 その歴史は古く、1925(大正14)年2月に釧路臨港鉄道によって春採~知人間は開業しました。路線の拡大とともに翌年2月には旅客営業も開始し、1928(昭和3)年11月には鉄道省(後の国鉄、現在のJR)根室本線の東釧路に接続。最盛期には春採湖や釧路川に沿いながら半環状線の形態となりました。貨物輸送のみならず、地域の足としても親しまれたのです。

 その後、釧路臨港鉄道は、1963(昭和38)年11月に旅客営業を終了。1979(昭和54)年4月30日に太平洋石炭販売輸送に吸収合併されて、1986(昭和61)年11月1日には国鉄との連絡運輸終了とともに春採~知人間の臨港線のみが残存することになりました。

 そして2019(平成31)年2月、荷主の釧路コールマインが採炭量の減少などにより契約更新を行わない方針を表明。太平洋石炭販売輸送臨港線は3月30日の運行をもって休止、6月末に廃止されました。

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