6年前まで「石炭列車」が走っていた!? 廃線跡に“呼び戻された踏切”も 石炭の街のエモすぎる風景

炭鉱の街として知られる北海道釧路市には、採掘した石炭を運ぶ鉄道がありました。太平洋石炭販売輸送(現・新太平洋商事)臨港線です。旅客輸送を行っていた歴史もあり、地元の人々に愛された路線でした。

線路跡が残る知人駅跡と、鉄道の面影が少ない春採駅跡

 線路をはじめとした設備の撤去は、廃止翌日の7月1日に早速始まりました。一時は活用案が模索され売却契約まで進んだ機関車や貨車が春採駅構内に留置されていたものの、最終的には頓挫し解体を余儀なくされました。

 現在、車両や線路など直接的に鉄道を感じる遺構は多くありません。しかし、廃線跡からは当時の様子をうかがうことができます。

 貯炭場があった知人駅跡では、独特なコンクリート造りの線路跡が見られます。霧に包まれた線路跡には、今にもディーゼル機関車と貨車が現れそうです。上から見ると、線路こそなくなったものの当時の雰囲気が感じられます。

 選炭場があった春採駅跡は、かなり鉄道らしさは薄まっています。駅前踏切の跡もすっかり舗装されており、そこに踏切があったと気付かない人もいることでしょう。ただ、知人方面を見ると広大な空き地に不自然に草が生えていない場所があり、よく見ると廃線跡と分かります。

 そして、選炭場の方へ振り返ると、「安全第一」と書かれた車庫らしき建物が見えます。じっくり観察すると、地面にはレールの跡をなぞるように草が生えています。そこはかつての検修庫で、大掛かりな検査を行うためのクレーンも設置されていました。そのため、天井の高さも確保してあり、三角屋根がより鉄道設備らしさを今でも醸し出しています。

 周囲の柵も、よく見ると鉄道用のレールを組み合わせたものです。敷地外からの観察でも、鉄道があったことを感じ取れます。

 そして臨港線の廃線跡でぜひ訪れておきたい場所が、米町の海沿いの弁天ヶ浜近くにある米町踏切の跡です。この踏切は、いったん撤去されたものの「くしろ元町青年団」の呼びかけにより集めた支援金を使い、2020(令和2)年10月に再現されたものです。

 現役時代は海の見える踏切として人気の撮影ポイントでもあった米町踏切。列車こそ来なくなったものの、海へ向かって坂を降りていくと見えてくる警報器は現役さながらです。晴れた日には青い海を背景にカメラに収めることができるため、廃止から6年以上が経つ今でも鉄道愛好家や観光客が絶えず訪れています。

 現在、国内で唯一現役の炭鉱が残る北海道釧路市。臨港線の廃線跡は街の歴史を伝えてくれる、貴重な遺構でもあるのです。

【あーー廃線跡だ!】ポツンと残る踏切ほか“エモ風景”を見る(写真)

Writer:

幼少期、祖父に連れられJR越後線を眺める日々を過ごし鉄道好きに。会社員を経て、現在はフリーの鉄道ライターとして活動中。 鉄道誌『J train』(イカロス出版)などに寄稿、機関車・貨物列車を主軸としつつ、信号設備や配線、運行形態などの意味合いも探究する。多数の本とNゲージで部屋が埋め尽くされている。

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