“心臓”を変えただけで!?「凡作」から「WW2最優秀」へ 高性能戦闘機が象徴した航空大国の意地
10月26日は「マスタング記念日」です。1940年の初飛行から85年、最初は低空番長だったフツーの戦闘機が、いかにして第二次世界大戦最高の戦闘機に化けたのか。その意外なロマンをひも解きます。
イギリス空軍の求めに応じてアメリカで開発
今からちょうど85年前の1940(昭和15)年10月26日、アメリカで試作戦闘機「NA-73X」が大空に飛び立ちました。第二次世界大戦における最良のレシプロ戦闘機として、多くの専門家が筆頭にあげるノースアメリカンP-51「マスタング」が産声を上げた瞬間です。ところが、本機は最初から傑作戦闘機として認められていたわけではありません。
その物語は、試作機初飛行の半年前に遡ります。当時、ドイツとの戦争で大量の兵器を必要としていたイギリスは、兵器調達委員会をアメリカに派遣しました。彼らはカーチスP-40戦闘機に目を付けていましたが、カーチス社に生産余力がなかったので、ノースアメリカン社にP-40のライセンス生産を打診します。
ところが、ノースアメリカンはライセンスを渋り、自分たちに任せてもらえば、より優れた戦闘機を短期間で開発可能と断言したのです。イギリス側は困惑しますが、同社から輸入した「ハーバードI」練習機が英国内で好評だった実績もあり、この申し出を受け入れました。その成果が冒頭のNA-73Xにつながります。イギリスはさっそくこれを「マスタングMk.I」と名づけて導入することにしました。
空力的に洗練された「マスタングMk.I」の層流翼という主翼構造と、胴体下面の大きな冷却器ダクトは、高性能を予感させる外見でした。また胴体と翼内の燃料タンクの容量は180ガロン(約820リッター)ありました。タイプにもよりますが、これはP-40戦闘機より25%も多く、これが長い航続距離や滞空時間の余裕の源となりました。結果、「マスタングMk.I」は爆撃機の護衛を務め、第二次世界大戦中にドイツ上空を飛行した最初のイギリス空軍単座戦闘機とります。





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