第二次大戦で活躍した戦艦「金剛型」、実はその前に退役する予定だった? 時代を変えたかもしれない金剛代艦とは
「ワシントン海軍軍縮条約」の条文には主力艦の代艦建造規定として、艦齢20年に達した戦艦を新造艦で置き換えるという規定がありました。もし、日本が「金剛型」の代艦を建造していたら、どうなっていたのでしょうか。
ワシントン海軍軍縮条約の結果がそのまま実行されていたら?
第一次世界大戦後、主要戦勝国は過度な建艦競争を抑制するため、当時の主力艦(戦艦・巡洋戦艦)、空母などの保有量を制限する「ワシントン海軍軍縮条約」を1923(大正12)年に結びました。
この際、戦艦については、就役後20年を経過した艦艇については、代艦建造が可能という条約規定が存在しました。日本が条約上、保有が許された戦艦で、最も古いのは1913(大正2)年就役の巡洋戦艦「金剛」でした。実は当初、金剛型は高速戦艦として改修されて第二次大戦に使われることはなく、退役の予定でした。
「金剛」は同型艦の「比叡」が1914(大正3)年に就役、3・4番艦の「榛名」「霧島」と、扶桑型戦艦の「扶桑」が1915(大正4)年就役ですから、当時の日本海軍はこの辺りを「基準排水量3万5000トン、16インチ(40.6cm)砲搭載」の最新型戦艦に順次置き換えていくという構想で、遅くとも1931(昭和6)年には建造を開始する予定でした。
ところが、この更新計画は1930(昭和5)年に開かれたロンドン海軍軍縮会議において見直しが要求されたことで、艦建造中止措置の5年延長、および既存艦の削減が発表されたため、その後、2番艦の「比叡」を除く金剛型の第二次改修を実施。新造艦の計画は棚上げとなり、さらに長い期間運用することが決定しました。当時、置き換え案として構想された戦艦は「金剛代艦」と呼ばれていますが、どのようなものだったのでしょうか。





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