選定理由は“強運”だから!? 「極限の世界に向かうフネ」70年の系譜 どこまで進化しているのか

日本による南極観測は、1912(明治45)年に始まりました。その後の砕氷艦「宗谷」の改造、白瀬矗の南極観測、2代にわたる「しらせ」まで解説していきます。

なぜ海保の「宗谷」が選ばれたのか

 南極観測船「しらせ」が2025年末、昭和基地に到着し、第67次南極観測隊の活動が始まっています。人類が南極大陸を初めて発見したのは、1820年のこと。ロシア海軍のタデウスとミハイルが棚氷に覆われた氷の大地を発見したのです。それ以降、南極は国家や個人の冒険家が目標とする地域となりました。

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保存されている砕氷艦「宗谷」(安藤昌季撮影)

 1911年12月11日、ノルウェー人探検家のロアール・アムンセンが史上初めて南極点に到達しましたが、ほぼ同じタイミングで南極を探検していた日本人がいました。それが、海上自衛隊の砕氷艦「しらせ」の艦名の由来となった白瀬矗(しらせ・のぶ)です。

 幼少期から探検家を志していた白瀬は北極点到達を目指していましたが、1909(明治42)年にアメリカ人探検家のロバート・ピアリーが達成したと知り、目標を南極点に変えます。翌年、白瀬は帝国議会に南極探検の費用を嘆願し、紆余曲折を経て帆船「第二報効丸」を入手。東郷平八郎海軍元帥に「開南丸」と命名され、南極探検に出発します。

 白瀬は1911(明治44)年3月6日に南極大陸に到達しますが、すでに海面凍結が始まっており、上陸は翌1912(明治45)年1月16日になります。白瀬は「開南湾」「大和雪原」「大隈湾」などを発見し、その名声は1961(昭和36)年に「白瀬氷河」として名付けられるほどでした。

 日本が国家として南極観測に取り組んだのは、1951(昭和26)年のことです。当時はGHQ占領下でしたが、国際的地位を高めるために南極観測を志しました。ノルウェーが国力不足で南極観測を断念したため、各国が反対したものの探索地域が日本に割り当てられました。そして砕氷艦として白羽の矢が立ったのが、海上保安庁の砕氷艦「宗谷」です。

「宗谷」は、日本で建造されたソ連向け民間船を旧日本海軍が購入したものですが、アメリカ空母によるトラック島空襲でも生き残るなど、砕氷能力だけでなく、船運の強さが南極観測に必要な能力と見なされたのです。

【当時の過酷な現場】南極で難局打開に向けて展開した「竹竿作戦」を見る(写真)

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