選定理由は“強運”だから!? 「極限の世界に向かうフネ」70年の系譜 どこまで進化しているのか

日本による南極観測は、1912(明治45)年に始まりました。その後の砕氷艦「宗谷」の改造、白瀬矗の南極観測、2代にわたる「しらせ」まで解説していきます。

日本初のヘリ搭載船

「宗谷」の改造設計は、戦艦「大和」の設計も手掛けた牧野茂が担当しました。艦首の強化、機関換装、レーダー設置、ヘリコプター甲板設置など、454の企業が最新技術を惜しげもなく投じた改造でした。当時、海自の護衛艦に先んじて日本で初めてヘリコプターを本格的に搭載した船でもありました。

 1957(昭和32)年に「宗谷」は南極大陸に到達し、昭和基地を開設します。しかし、氷に閉じ込められて危機に陥ったり、ケープタウン沖で暴風雨に遭って最高片舷69度というほぼ横倒しになったりしますが、無事日本に帰国します。

 翌年には再度改装を受けて、砕氷能力や探索能力を強化。南極観測では大陸に到達するもあまりの暴風雨で帰還命令が出て、昭和基地に樺太犬15頭を残したまま帰国します。1年後に2頭が奇跡の生存を果たしていたことを描いた映画「南極物語」(1983年公開)は大ヒットしました。

「宗谷」は、1962(昭和37)年まで6度の南極観測を実施。世界で初めて電磁層の船上観測に成功するなどの功績をあげ、現在でも東京のお台場で保存されています。

 後継となったのは、1965(昭和40)年に竣工した砕氷艦「ふじ」でした。艦名がひらがなになったのは、南極観測船の所属が海保から海自になったからです。

 基準排水量は、「宗谷」の3800トン(特務艦時代)に対し、「ふじ」は5250トンでした。これだけの大型艦艇を扱える組織は、海自の方が適しているという判断となったのです。南極観測は科学研究ではありますが、各国の国家的威信もかかっています。このため各国の南極観測用砕氷艦も、軍や準軍事的組織の所属が多く見られます。

「ふじ」は「宗谷」より大型で砕氷性能も上回っていましたが、それでも多くの困難に見舞われました。1983(昭和58)年に退役した後は、名古屋港ガーデンふ頭で保存されています。

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