片道2回のチェーン脱着で「想像を絶する渋滞」 スキーブームの“苦行”だった関東の峠とは? バイパス開通も皮肉な結果に
かつてのスキーブーム時代、群馬県の片品村方面へ向かうスキーヤーは、スキー場のはるか手前にある峠でチェーンの着脱を強いられました。この“苦行”を解消したバイパスが開通したときには、すでに状況は一変していました。
「想像を絶する渋滞」を解消するバイパス計画
こうした“スキー場銀座”からの帰路は、想像を絶する渋滞となることもしばしばでした。椎坂峠の手前のチェーン装着所は混雑し、その“空き待ち”の渋滞の列が老神の集落を越えて延々と続き、連休最終日などはスキー場を出て3〜4時間経っても沼田ICにたどり着けないことすらあったのです。
そしてこれは単にスキーやスノーボードという行楽の問題だけでなく、沼田市と片品村との救急や消防体制にかかわる課題でもあり、また豪雪時には片品村が孤立するおそれもありました。
この椎坂峠という“障害”は、2000年代になり、ようやく解決に向け動き出しました。峠を2本のトンネルでショートカットする「椎坂バイパス」の事業化です。
西側の「椎坂白沢トンネル」は2009年に着工、東側の「椎坂利根トンネル」は2011年に着工し、トンネル部分は2013年11月に供用開始、2014年12月には利根町側の取り付け道路の改良を含めた全線が開通しました。このバイパス事業により、平常時は約14分、積雪時は約25分かかっていた通過所要時間は約5分〜7分へと、劇的に改善しました。
だが、バイパスができたときには…
ただ皮肉なことに、1990年代前半までのスキーブームは、バブル崩壊を追いかけるように終焉し、スキー場は冬の時代を迎えていました。そして椎坂バイパスの事業化の時点では、スタッドレスタイヤの普及もあり、かつて峠の前後に見られたチェーン装着による渋滞も姿を消していたのです。
片品村方面のスキー場は、その集客難から、2000年代に入りひとつ、またひとつと廃業が続きました。椎坂バイパスを使いアクセスするスキー場は現在、「オグナほたかスキー場」「丸沼高原スキー場」「かたしな高原スキー場」「尾瀬岩鞍スキー場」「スノーパーク尾瀬戸倉」のわずか5つが残るのみです。
ここからは“たられば”の話になりますが、椎坂バイパスの開通があと15年早ければ、閉鎖に追い込まれてしまったスキー場にも別の展開の可能性があったかもしれません。
なお椎坂峠の旧道は引き続き通行が可能ですが、利根町側の上り口をのぞけば沿道に人家はなく、林業や治山事業にかかわる工事車両の出入りをのぞけば実質的に通行需要もなくなっています。冬季の除雪作業は行われないとアナウンスされています。
ただ、そうした一般の交通がないことを好機に、夜間には“走り屋”が出没し、また峠の頂上にある駐車エリアには廃タイヤが数多く放棄されています。こうした問題がより拡大しないよう、行政には夜間の道路管理などで適切な対応が求められそうです。
Writer: 植村祐介(ライター&プランナー)
1966年、福岡県生まれ。自動車専門誌編集部勤務を経て独立。クルマ、PC、マリン&ウインタースポーツ、国内外の旅行など多彩な趣味を通し積み重ねた経験と人脈、知的探究心がセールスポイント。カーライフ系、ニュース&エンタメ系、インタビュー記事執筆のほか、主にIT&通信分野でのB2Bウェブサイトの企画立案、制作、原稿執筆なども手がける。





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